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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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大本信徒連合会
〒623-0035
京都府綾部市
上野町藤山16番地
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FAX 0773-43-1059

綾部七社

  1. 若宮神社
  2. 八幡宮
  3. 二宮神社・三宮神社(合祀)
  4. 斎神社
  5. 笠原神社
  6. 熊野新宮神社
     ・大本と熊野神社
     ・大本事件と熊野神社

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(1) 若宮神社

若宮神社
所在地 京都府綾部市 上野町藤山1乙
御祭神 仁徳天皇 猿田彦神
由緒略記  治承年間(1177〜1180年)平重盛が丹波の国守をしていたとき、山城の国(京都府南部)石清水八幡宮の権殿に祀られている御祭神 仁徳天皇のご分霊をこの地に迎えたものと伝えられる。

 寛永10年(1633年)3月、徳川三代将軍 家光の時、綾部藩の初代藩主 九鬼隆季(くき たかすえ)()が志摩の国(三重県)鳥羽から綾部に転封された時に、お屋敷内に祀られていた若宮神社を厚く尊崇し、綾部藩の総氏神と定めた。

 もともと現在の田町に祀られていたが、慶安4年(1651年)初代藩主が御屋形を上野本宮山西麓に移すことになった時に藤山の中腹に奉遷した。

(2) 八幡宮

八幡宮
所在地 京都府綾部市 宮代町明知9番地
御祭神 応神天皇 仲哀天皇 仁徳天皇 神功皇后 武内宿禰
由緒略記  治承年中(1177〜1182)小松内府三位中将 平重盛卿が丹波の国守であったとき、山城国 石清水八幡宮の別宮として勧請したと伝えられる。

 天正年間(1573〜1590)火災によって宝物、記録が消失し、由緒が明らかでないが、綾部藩の記録によると「ここは平重盛卿の領地なり、治承年中に重盛卿の勧請か」としている。

 寛永年間(1623〜1643)以来、領主の九鬼隆季()氏はじめ累代の崇敬厚く社領、財宝の寄進を受けたと伝えられる。

 綾部郷総社と称し、綾部郷の九社を拝殿に奉祀している。明治4年、郷社に列せられた。

(3) 二宮神社・三宮神社

二宮神社・三宮神社
所在地 京都府綾部市 青野町
御祭神 二宮神社:国常立尊
三宮神社:豊雲野尊
由緒略記  二宮神社は江戸時代の寛政8年(1796)12月、三宮神社は安永9年(1780)2月に建立される。
 二社は昭和40年に合祀され、昭和45年6月28日竣工御鎮座の御盛儀が行われた。

(4) 斎神社(いつきじんじゃ)

斎神社
所在地 京都府綾部市 味方町アミダ寺11−6
御祭神 経津主命(ふつぬしのみこと)
由緒略記  矢の神として、軍神として尊崇厚く交通安全を守る神として旅人が道中の安全を祈願したという。創紀不詳(「我が古里の語り草」より抜粋)
 また出口家の祖先を祀るともいう。

(5) 笠原神社

笠原神社
所在地 京都府綾部市 倉谷43
御祭神 大名持命
由緒略記  殖産興業の神、医薬の神として、特にデキモノに霊験あらたかにして、願いの適った時は笠を奉納する習慣があったと伝わる。

(6) 熊野新宮神社

熊野新宮神社
所在地 京都府綾部市 並松上溝口
御祭神 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
本殿:素盞嗚尊 速玉男命 事解男命
相殿:蚕祖神
由緒略記  永万元年丹波の知行国主となった平重盛は、綾部に所領を得て治承年間(1177〜1179年)この地を巡遊し、由良川に臨んだ並松の佳景が平氏の尊崇する熊野の地に似ているので、この地に那智山の正暦寺、本宮山の東麓に熊野神社、熊野新宮神社を勧請したと伝えられる。綾部の地名に本宮山、本宮、新宮などがあるのはその名残だといわれる。

 時代は下り、古記録によれば本宮山の東麓にあった熊野本宮社を寛文12年、隆季公のとき今の地に移したとあり(本宮山の東側、由良川に臨んだ本宮山中腹の地にそれらしい平らな跡がある)、歴代の藩主の崇敬厚く、熊野新宮社への奉納記録も数々残っている。

 なお、例年行われる水無月祭は、江戸時代の郷土史の記録にも残っており、この地方の人々に古くから親しまれている。

 明治16年に社殿が改築され、ついで大正6年には紅葉山から蚕祖神を迎え、西宮から恵比寿神社の分霊を勧請した。
 昭和34年、神殿を移転、修造する。昭和42年に現在の社殿が造営された。

大本と熊野神社

 明治25年2月3日の節分の日に、艮の金神が出口なお大本開祖に帰神された。このとき開祖は産土神社(熊野新宮神社)にお参りして、産土の神様に、今度、艮の金神が表になって守護することを全国の氏神様に知らせしていただきたいと申された。この産土の神様が全国の氏神様にふれ廻られたことにより、全国の氏神様が氏子を連れて参拝されることになった。
 その徳をお偲びして開祖は御礼のしるしに、産土様の境内に梅と桜と白藤をお植えになった。お筆先に「白藤が栄えば、綾部よくなりて末で都といたすぞよ」とあり、今日もその白藤は社前に繁り栄えている。

 開祖、聖師をはじめ、二代教主、三代教主、四代教主と、厚く崇敬しており、大本に入信し参綾する方には産土神社にもお詣りするように指導している。
 開祖のお筆先には「新宮本宮の氏神様にはさらたまりて御礼いたすぞよ」とある。
 また、出口家の氏神様である。

大本事件と熊野神社

 第一次・第二次大本事件中にも、この産土の神様に大変な御守護を頂いた。
 天王平の開祖様の奥津城などが壊されたときは信徒の墓地も壊され、宣伝使などの文字が削られたり、いろいろなことがあった。その時に二代様が、この天王平にお鎮めしてある大本信徒の祖霊様が松村さんを先頭に皆を従えて熊野神社に移動している霊夢を御覧になられたというようなこともあった。
 このように熊野神社と大本との関係は深いのである。


 綾部藩主の九鬼家の「鬼」の字は、正しくは角のない という文字を用いる。
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