www.omt.gr.jp 内を検索

左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
このホームページは大本信徒連合会が運営しております
大本信徒連合会
〒623-0035
京都府綾部市
上野町藤山16番地
TEL 0773-42-2129
FAX 0773-43-1059

第1回霊界物語夏期集中セミナー

霊界物語夏期セミナー開催─ 状況報告と感想 ─
高木明彦

会場の「あやべ山の家」
会場の「あやべ山の家」
 平成20年(2008年)7月19日〜21日までの3日間、綾部市睦寄町にある「あやべ山の家」を会場に第1回霊界物語夏期集中セミナーが開催された。
 これは全国的に拡がっている各地の霊界物語勉強会のメンバーや三丹さんたん地区(丹波・丹後・但馬)の婦人会員など約60名が参加し、大本信徒連合会宣教部とタイアップして行なわれたものである。
 連日35度をこえる猛暑のなか、各地区の勉強会をリードする7講師が選抜され、宣伝使の養成を兼ねておこなわれた。

 第1日日(19日)は、天王平に参拝の後、あやべ山の家に移動し、午後から集中的に行なわれた。

出口孝樹講師
出口孝樹講師
 第1講は霊界物語第47巻、第48巻にもとづき「人生の本義」について大本信徒連合会宣教部長の出口孝樹講師が担当。物語の拝読を挫折しながらも続けてきたことの大切さを率直に告白。霊界物語第47巻第16章の「霊丹れいたん」を示し、治国別はるくにわけ竜公たつこうの問答から教示される霊界での如意宝珠にょいほっしゅ、つまり善言美詞ぜんげんびしや天津祝詞奏上の大切さを悟っていく場面を展開した。更に内分、外分の智慧証覚の違いを説明し、第48巻第10章「天国の富」(1264)に示されている場面から、地上天国を築くためには先ず各自の内分を高め、高天原たかあまはらと断絶しないためにも霊界物語拝読の大切さを力説。第10章の消息は、拝読するものを実際天国にいざなってくれる雰囲気が会場に漂ってくる程、出口孝樹講師による初々しさのかおる講座となった。

出口信一講師
出口信一講師
 第2講は出口信一講師が担当。
 この講座は「宣伝使」をテーマに、第5巻、第6巻の中から、国祖の隠退・再現に触れ、盤古神王系の神々、常世神王系の神々と国祖を奉じる神々との三つ巴の戦いの因縁が示されていく。万寿山まんじゅざん霊鷺山りょうしゅうざん正神せいしんたちの懸命の神政により何の動揺もない霊山霊地をよそに、ウラル彦を指導者と仰ぐアーメニヤの地や、ロッキー山を拠点とする常世彦をリーダーとする国祖を隠退に導く霊系の神々は、各山各地の八王八頭やつおうやつがしらたちの紛乱を生ぜしめ、神界の霊山霊地の神政は乱れに乱れ、畏くもその混乱の責任をとって国祖隠退の情勢が形づけられていく、胸うたれ、涙あふるる場面である。
 この時邪神界では八頭八尾やつがしらやつお大蛇おろち金毛九尾きんもうきゅうび悪狐あっこなどが跋扈跳梁するという。「まるでここ数十年続いてきた大本第三次事件の内紛の様相と合せ鏡だなあー」と嘆息する受講者の声も漏れてきた。筆者も今更ながら国祖のご苦労をしのび胸が熱くなってきた。
 出口信一講師は第5巻第18章を示しつつ、宣伝使(神)の発祥はこの時の神界の混乱をおさめるべく天教山てんきょうざん木花姫このはなひめによって中腹の青木ケ原に集められた野立彦のだちひこの神勅を奉じる神々によって始まったことを順々と説諭し、『三千世界一度に開く梅の花、月日と土の恩を知れ、心一つの救いの神ぞ、天教山に現はれる』という一節が如何に基本宣伝歌の大本となり、天下の神人たちがそれによって覚醒されていったかを確証せしめてくれる。
 「呑めよ騒げよ一寸先ややみ
  暗の後には月が出る
  時鳥ほととぎす声は聞けども姿は見せぬ
  姿見せぬは魔か鬼か」
というウラル彦系の体主霊従的宣伝歌によって、せっかく天道別あまぢわけを主とする神々によって覚醒されつつあった神々も、またもや酒色と色情、暴飲暴食に後戻りし、この惨状を救うべく言触ことぶれの神たちは苦心惨憺の結果、大空の金橋きんきょうより霊線の金・銀・鋼の糸をおろし先にかぎをつけ頭部に神と記号をつけられた神々を救おうとされる様子は、芝居的にみれば、面白くも滑稽な場面であるが、今や、今日の人類の様と照らすと、過去の神界での事とのみ済ますことは出来ず、今更ながら考えさせられる。
 それに八百万の神々の中で上中下の三段の霊線に救われるものは、日に数十という数まで書かれており、隣の受講者と目と目をギョロッとさせた程である。
 更に物語は「天の浮橋」に展開され、国直姫くになおひめによって黄金の大橋、またの名を天の浮橋という場面の解説がなされていった。しかもこの橋は東西南北に空中を旋回し、その度毎に震動し、救われた橋上の神人たちは跳ね飛ばされ、暴風によって吹き落とされる危険と闘い、欄干も足溜りもない黄金の丸木橋で、『渡るに難し、渡らねば神の柱となることを得ず、実に難きは神柱かむばしらたるものの勤めなり』と示されている。いやはや、ただただ惟神かむながら霊幸倍たまちはへませ……と念ずるばかりの場面であり、聖地にまつらう我々にも厳しい戒めを与えて下さっているのだ、と悟らせていただく。

 第3講は夕拝、夕食後、宮崎清講師から「大本第三次事件から救いの世界へ」という講題で行なわれた。
 宮崎講師はレジメを細かく提示しつつ、大本の精神は霊界物語の拝読研鑽の中から感得すべきこと(第13巻・モノログ)。第41巻「序文」や第50巻「総説」を提示、更に第67巻第5章では、瑞霊ずいれいがご昇天後、霊界物語を尊重し、そこから学び、そこから活動奉仕しようとする者がなくなり、へつらいや偽りの世となり、物語口述以前のような間違った教の道に迷い込む苦しみ多き時がくることを予言されている。そんな時代の中でも、お互いは互いに教えさとしつつ、霊界物語を遵奉することの大切さが示されてあるにもかかわらず、本部や地方でも、それが守られ難かった過去の現実を紹介。その中でも少数の心ある信者たちは日を定め、拝読研鑽を続けてきたことが述懐された。
 その他「錦の土産」や、その前文に触れ、三代教主時代に開祖の筆先のみを重んじ、聖師が伊都能売いづのめの神格に充たされて口述された霊界物語の拝読や教えの伝達、教示をおろそかにしていることへの厳しき戒めのお言葉が提示された。更に五六七みろくの世の宝(霊界物語)を暗い穴に陥れようとするような悪の身魂は神界の帳を切る……とまで戒めておられる聖師の父としての苦しきお言葉に接し、これは三代様お一人へのいましめではなく、それにまつらう当時の奉仕者や信者の自分たちへのいましめであったことが深く悟了されたのである。
 宮崎講師の講座の資料はいずれも、霊界物語や聖師直接の我々への遺言のように貴重なものばかりであるが、一挙にここで発表し難き部分もあるやに察せられ、今回はこの程度で、今後折をみて全資料の発表されることを希う。また我々も拝読の大切さを重く教えられ、勉強会の輪が更に拡がり深まることを期待している。

講義の様子
講義の様子
 第2日日の20日(日)は、第4講として和歌山南部の田上雅春講師から「大本の先人」と題し、紀州・南部出身の西田元教げんきょう・宣伝使の業績について話された。
 西田先生は森元吉として森家に生誕、西田家の養子となり、後に聖師の実妹ゆきさんと結婚、初期の聖師の神業を影の存在として支えた傑物である。
 資料として提出された文献は第2巻15章「山幸」第38巻24章「呪ひの釘」の2箇所からで、山猟が好きな若き日の西田翁が神の道に目覚め、聖師の影となって創生期の大本神業を支えられた独特のキャラクターが紹介されていった。また鍛冶職人としてのすぐれた腕前をねたまれ、呪釘を打たれ苦しんでいるのを聖師の霊覚によって一命が救われた事象が、ありのままに描かれているところでもある。
 また聖師の生母・よね刀自が、穴太の生家が焼けたので、一時、幸吉氏をはじめ弟妹とご一緒に綾部に身を寄せていた折、当時の綾部の役員らの迷信により「小松林こまつばやし」の親というので虐待され、よね刀自は横腹を蹴り倒されて息の根が止りそうな寸前に帰ってきた西田翁によって介抱されたエピソードなども記述されてあり、大本の教を矯小化してとらえ、お道の為になる──とするかたくなな信仰のゆえに、聖師はじめ、聖師の肉親の方々の御苦労が偲ばれる…。
 この古事は、これからの大本神業にとってもあってはならないことゆえ、各自、自戒をし、まことの宣伝使たちへの神業の妨害となるような言動は避けたいものであると、筆者もつくづく思わされた。

播磨講師が製作した映像
播磨講師が製作した映像
 第5講は兵庫県出身の播磨六郎講師が、第1巻、第4巻の天地剖判や神示の宇宙を映像化し、音響入りで紹介された。
 霊界物語は大本の究極の教典であっても、拝読を進めていく折に挫折しがちな難所もあって、初歩の拝読者や青少年に対して映像化して紹介すると、迫力があって興味も増し、物語への魅力が増すだろう──と、参加者も食い入るように凝視する姿が印象的であった。今後これらのビデオ・DVDの普及ものぞみたい。

昼食会場となった「吉水」
昼食会場となった「吉水」
 この日の昼食は綾部の奥上林おくかんばやしに移住し、山菜料理家としても活躍される若杉友子先生の自然食を頂くため、上林の古民家に移動、自然食の説明を受け、山菜のかおりを楽しんだ。
 最近は海外の輸入食材に日本は頼り、遺伝子組み換えの食品に汚染されているが、その危険性についても大豆の花の狂い咲きの実例などが紹介され、今更ながら日本の大地で育った無農薬で且つ伝統食や野草の生命力を再認識され、こんな野の花でもおいしく食べられるのかと、参加者は大いに感動させられた。

 昼食後は再び「山の家」に戻って、第6講は山口県から参加の藤井盛講師によって第56巻「愛米あいまい」を資料に講座が展開されていった。
 藤井講師は日ごろ山口での拝読会の世話人として物語の研鑽を積んで励んでおられる一人で、第8章の求道居士きゅうどうこじと高姫の問答を引用して、神愛と世界愛や自愛の違いを誠実に説き、物語に一貫して流れる救済的「愛善」の質の高さと、それへ向けて実践し体得することの厳しさを教えてもらった。
 また三次事件の感情のもつれや対立から、派閥的に敵視する傾向のあった我々の偏狭な心の塵を払うためにも、求道居士の履歴が示すごとく、宣伝使の多くは、みな元バラモン軍人などの改心組であり、バラモン、ウラルと三五教と三派の入り組んだ神劇が展開されてあるのも、実は三五教の宣伝使の試練であり、外道に甘んじている人々への救済や改心への“いざない”ではないかと呼びかけ、胸の打たれる思いにさせられていった。

 最終講の7番目に登場したのは伊藤善久講師で、大本信徒連合会の事務局長である。
 伊藤講師は豊富な資料を提供し、5巻・6巻をたてとする「基本宣伝歌」の大精神を解説。「人生の本義」の図表では天界と現界の因縁、さらに神界からの内流を遮断しがちな「自愛の人生」について、物語を引用しつつ自愛、世間愛、地獄の愛の根に精霊の本源を“自ら発し存在する”とする誤認のあやまりを徹底して自戒しなければならないことを力説。尊大威喝な自得提じとくていな今日の学識や智慧に流されていくことの愚かさが判明されていく。
 さらに50巻の第1章、57巻の第11章など、過去の英雄豪傑といわれている人といえども、神愛に充たされておらぬ者の貧弱さ、逆に心に神を抱ける者は枯野ケ原をも天国に化するという信仰の妙諦を示唆してくれる。
 48巻の「西王母せいおうぼ」の章では、天国に在る在天人も皆、この世にあって善徳を発揮し活躍した者たちばかりであり、最初から天人のままであったのではないこと、したがって現界の苦しみ、楽しみは天国への養成所、苗代であることなど、律義な図表に基づく解説がなされていった。

 締めくくりになるが、第1回目の夏期セミナーは、この講座の示すごとく、57巻第1章にある物語本文の引用で終りたい。
三五教あななひきょうは大神の直接内流を受け、愛の善と、信の真をもって唯一の教理となし、智愛勇親ち・あい・ゆう・しん四魂しこんを活用させ、善のために善を行ひ、用のために用を勤め、真のために真を励む。ゆゑにその言行心げん・こう・しんは常に神に向かひ、神と共にあり、いはゆる神の生宮にして天地経綸の主宰者たる実を挙げ、生きながら天国に籍をおき、あたかも黄金時代の天人のごとく、神の意志そのままを地上の蒼生に宣伝し実行し、もつて衆生一切を済度するをもつて唯一の務めとしてゐたのである。』
 第3日目はコーディネーターとして本稿筆者の高木が宣伝歌での鎮魂実習の後、如上のような熱と勇気をもって拝読をつづけ、お互いに励まし合うことを確認させて頂いた。

 この会の世話人の入江晃明氏、井上克己氏やスタッフに感謝しつつ、懇親会やフリートークでおきた各地からの発言を心に止め、帰りの車中の人となった。

(機関誌『愛善世界』平成20年9月号及び10月号に掲載されたレポートをもとに作成しました)
プリンタ用画面

© 1998 - 2019 大本信徒連合会