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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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大本大祭特別講座 講義録(抜粋) 出口信一『宣伝使』

平成20年(2008年)11月1日
大本大祭特別講座 講義録(抜粋)
[講師]出口信一
[題]宣伝使
 現在の大本の状態は通らざるを得ない一つのお仕組みであったと今になって思えます。
 どのように、本来の大本に回帰していくかということになりますが、それは神の言葉に帰るの一言に尽きると思います。
 王仁三郎聖師は、御自身の遺言書として書かれた「錦の土産」の中において、霊界物語の拝読だけは決してやめてはならないと仰っています。毎夜、各教会で拝読すべしということを強く仰っている。これは聖師さまの遺言でもあったわけです。ところが、大本教団としては遺言を守ってこなかった。特に、聖師さまの御昇天後は「霊界物語」の拝読は廃れ、内容に関しても只お経読みで読めという方向で踏襲してきました。聖師さま御昇天より60年に亘り、我々に残された一番大事な御言葉を学ぶことなく来て、御神業の根幹がどこにあるのかという基礎的なことが判らなくなってしまっているのです。ですから今日の状況は成るべくして成ったといえます。

講義をする出口信一先生
 では、本来の大本に回帰するにはどうしたらいいかということになるのですが、「神諭」・「霊界物語」に回帰していく以外ないと思います。
 私は、「霊界物語」は信徒以外には馴染まないと永年思い込んでいました。また、私自身もこれまで深く学ぶ機会がなかった。現在、全国各地で「霊界物語勉強会」を開いておりますが、信徒でない方に王仁三郎聖師という方はどういうことを言っておられるのか知りたい、という方が多いことに気付かされました。11月29日開催の「霊界物語フェスティバーロ」にも、去年もそうでしたが信徒以外の方の申し込みが多いのです。北海道や鹿児島あたりから旅費と参加費を使って綾部までお越しになることは勇気のいることであろうと思います。開祖さま、聖師さまのいらした場所、聖地という所に来てみたいと思われるのです。どうか温かくお迎えいたしましょう。

 大本の教主 出口直美さまのお住まいである要荘かなめそう掬水荘きくすいそうの方に、教団(編者注・宗教法人大本のこと)からいよいよ提訴する旨の通告が先月下旬にありました。このことも「霊界物語」の中に書いてあることと非常によく類似している。「霊界物語」は「神話」です。この神話は過去の話しだけではなく過去・現在・未来を貫き、神代で起った出来事は合せ鏡の如く現在に写り将来起こり得るということです。
 第4巻の国祖の隠退の場面で、常世彦とこよひこ常世姫とこよひめの使者の大鷹別おほたかわけが国祖のところに隠退を勧告しに来ます。今回も教主さまのところに先般、前・本部長と当時の管理局職員と3名が来て、要荘・掬水荘から出て行けと勧告をしに来た。ですから本当によく似ているんです。人間は感情の動物ですから感情的になる部分もありますが、冷静に見ると同じようになっているのがよく判る。

 第4巻には国祖ご隠退の経緯が書かれています。ご隠退の後、地上神界の主宰神の役割を放棄なさったかというと、そうではない。天教山に身を退かれるというのが出ています。妻神の豊国姫とよくにひめ(瑞の御魂)は地教山(ヒマラヤ山)に隠退なさるが、今度は野立彦のだちひこ野立姫のだちひめと名を変じ陰からの御守護にまわられる。
 木花姫このはなひめが十六神将の天使を天教山・地教山に誘い、野立姫の宣旨を聞きます。最初は、天教山の野立彦のところに行きます。野立彦のメッセージというのは、我々がいつも奉唱する宣伝歌の中の、「三千世界 一度に開く梅の花 開いて散りて実を結ぶ」これが野立彦の教えです。野立姫(瑞の御魂・豊国姫)のメッセージは「朝日は照るとも曇るとも 月はつともくるとも たとへ大地は沈むとも 誠の力は世を救ふ」これが野立姫の教えです。そこからヒマラヤ山が地教山と名が変わった。そこで二神の教えを受けた宣伝使が地上界に降りていき、世の人々にいづ御魂みたまみづ御魂みたまの予言・警告をします。しかし、その教えに耳を傾けた人は千人に一人もなかった。やがて大洪水が起きて世界は泥海と化します。そこで、ノアの箱舟のような、目無堅間めなしかたまの船に大勢の人が乗って救済に与ろうとするわけですが、上方に屋根の無い船は忽ち波にのみ込まれたと書いてある。この目無堅間の船は、のりの船、神の船で、形ある船ではなくて、神様の御教え、神様の御言葉という意味です。
 世界が終末に瀕している様子を御覧になった野立彦と野立姫は責任を感じられて、自己を犠牲にして、全ての生命が再び蘇生することを願いながら、贖いの為に天教山の噴火口に身を投じ神避かむさられたと書いてあります。(第6巻)
 天の祖神さまは、願いをお聞ききになり、伊邪那岐尊いざなぎのみこと伊邪那美尊いざなみのみことに命じて地上界を修理固成させられました。ここからが日本神話となりますが、つまり、野立彦(厳の御魂)・野立姫(瑞の御魂)の二柱は、全ての生命が再び蘇生する為に身を犠牲にされた。その贖いのおかげで森羅万象は蘇ることができたのです。
 十六神将の中でも四人の神将は特別の四天使です。月照彦神つきてるひこのかみ足真彦だるまひこ弘子彦神ひろやすひこのかみ言霊別命ことたまわけのみことという四魂しこんの神は素盞嗚命すさのをのみことの四魂であります。四天使は地上界に降りて、それぞれの地域で預言者として活動します。言霊別命、一名・少彦名神すくなひこなのかみはユダヤの地に降臨してイエス・キリストになる。月照彦はインドの釈迦。弘子彦は孔子として教えを説いていくことになった。
 このように、げんずい 二神の野立彦、野立姫が、身を窶して陰からの守護にまわられる。その教えを聞いた宣伝使達が再びこの地上界を元の世界に戻していくというのが「霊界物語」のストーリーです。

 ご周知のように、開祖さまも、聖師さまも、たいへんな人生でありましたし、二代さまも、幼少よりご苦労なさって、教主になられてからもご苦労続きでした。
 四代教主 直美さまも、開祖さまのご更生ですから、たいへんなご苦労がおありですし、贖いの一端を担われる大変なお役を務めておられるのだと思います。
 我々は、厳・瑞 二神の御教えを身近に聞かせていただけるところに居ながら、特に『霊界物語』は聖師さまの予測のとおり大本の中ですら読まれてこなかった。
 厳・瑞 二神の御教えを除いたら「大本出現の意義は」無くなるのです。
 『霊界物語』には、陰からの守護より再びお出ましになるように、宣伝神が瑞・厳 二神の御神業の手足となって、先駆的に活動する様子が書かれていますが、私たちも同じ様に活動させていただかなくてはいけません。
 二代さまは、直美が四代を継げないようになったらこの世は泥海になると仰っておられますが、今日の大本がこのような状況になってしまったのは誰のせいでもなく、私たち一人一人の責任でもあったということに帰結していくと思います。
 大本の使命は、神縁のある私達一人一人が神様の御言葉にしっかりと救済されて、そして神様の御言葉を世界の多くの人々に宣べ伝えることです。そのことにより私達の住むこの地上界を元の神代に戻していく。それが「みろくの世」ということになろうかと思います。

 神様の言霊ことたまを奏上することにより、一人一人の中に神様の御光おひかりが入ってきます。
 「言葉は光である」と、聖師さまは仰っています。しかも、神様の御光は我々の魂に熱を与えてくださるのです。光と熱が魂に入ることにより、神様から色々いただけて奇魂くしみたまをいただける。そして、何より大切なのが荒魂あらみたまの働きです。荒魂が一番最初なんですね。荒魂、奇魂、幸魂さちみたま和魂にぎみたまの順なんですね。
 人は四魂しこんの働きを三回繰り返すと言われます。生まれて三歳までは荒魂が強い。これが六歳位になると少し聞き分けが出来るようになり、少し奇魂が働きはじめる。そして幸魂は九歳頃から働きはじめ、自分の意志でお母さんが大変そうだからお手伝いしようかと思うようになります。それから和魂です。許すことが出来るようになるのです。これも十二歳頃になりますと、兄弟達が少々意に添わなくても許してやる慈悲の心が芽生えるのです。人はこのことを三回繰り返して一人前になると言われている。三十六歳のちょうどみろくの歳になって、名実ともに一人前になるということになろうかと思います。
 やはり神様の御言葉を学ぶことにより一霊四魂いちれいしこんがだんだん活躍していきます。私は元来の勉強嫌いで緻密なことの出来ない性格で、学生時代の成績もあまりよろしくありません。とにかく細かい事の出来ない質なのです。
 ところが、「霊界物語勉強会」を各地で開くことになり、月13回それぞれの教室で勉強会を開催し共に学ぶ場所を作りました。6年経ってかなりの回数になりましたが、これが私にとりましてたいへん勉強になりました。今まで気が付かなかったこと、考えても無かったことが見えてくるようになりました。

 「霊界物語」でも特に難しい箇所があるんです。読んで理解出来ない。次の会場でお話するのに一体どうしたらいいのかと困り果てていました。その時、ある文章の中でこんな言葉が出て来ました。「とにかく、この霊界物語を読め。読んだらみづ御魂みたまがあなたの魂の中に入って、その謎を解き明かす」と。
 つまり、鍵を開けるということですね。凄い言葉だなーと思いました。読まなければ瑞の御魂の神様が入ってこられないじゃないかと。自分は一人一人の魂に入っていってその謎を解き明かしてあげたいと思うけれど、読んでくれないことには解き明かしようが無いと。そういうことだったのか・・・。わたしは非常にショックを受けました。
 言霊に挙げて祈る心で「霊界物語」に向う時、私達自身の頭だけで考えるのではなくて聖師さま自ら魂の中に入って来てくださる。そして今まで抱えていた沢山の謎を解いてくださる。それは奇魂くしみたまに他ならないんですね。人間の知恵を超えたもの。

 私はやはり、大本は信仰の団体ですから様々な奇跡が無いと駄目だと思います。我々の頭で考えることなんて高が知れていると。そこに絶大なる神様の光と熱が入ることにより、想像を絶するものを授けてくださる。そこが信仰の醍醐味であると思うのです。
 では、何が必要か。それは、祈りと神様の御言葉を学ぶことより他にありません。
 「神への祈りは宝なり」という聖師さまのお歌があります。祈る心が無ければ、御神書を何度拝読しても恐らく御神徳はいただけないと思います。祈る心で神様の御言葉に近づくことで、我々の魂の中に熱と光をお与えいただくのだと思います。これが基本です。

 大本の一人一人は、宣伝使にさせていただくことが本来の役割です。宣伝使というのは、何か人に伝えないといけないとか、上手に喋らなければいけないとか、人って思い勝ちですが、ところがずっと勉強会をやってきて気付いたことがあります。
 そんなことする必要ないんだなと。と申しますのは、神様の光と熱が魂に沁みこんできたら、水源から水が沸き出るようなものを神様が与えてくださる。湧き出る水で魂を一杯に満たして下さるのですね。そして自然と水が溢れ出すようになります。
 このような時、初めて人の魂を打つのだと思います。もし、自分自身に水の湧くところが無く、からからの状態で、汲めども汲めども水は出ないのに、「人に伝えなさい」、「あの人を説得しなさい」などと言われても、そんなこと出来る筈はありません。魂の中から水が自ずと湧き出るような境地にお互いがなるような方向性が大事だと思います。

 「霊界物語」をずっと学ばせていただきますと、写し鏡になって出ているのがよく判ります。私達が大本の信仰をひたすら熱く、しっかり守っていかねばいけませんし、そのことが私たち一人一人が地上界に肉体を持って生まれてきた役割だと思います。

(終)
2008/12/4 編集上のミスでいくつか誤記がありましたので修正いたしました。
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