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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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大本弾圧

 大本の社会に対する影響力は日ましに大きくなっていきましたが、それをこころよく思わない人たちもいました。
 政府は大本弾圧の準備を着々と進め、大正10年(1921年)、ついにそのときが来たのです。

 2月12日午前9時、綾部の大本の本部に、およそ200人もの警官隊が突入しました。
 この弾圧の命令は、検事総長の平沼騏一郎(後に総理大臣になりました)が下し、直接の指揮者は京都府警察部の藤沼庄平でした。

 当時巷では、大本には武器弾薬が山ほど隠されているとか、鎮魂帰神(魂鎮めの修業)で片っ端から夢遊病者にされてしまうとか、武道に練達の青年が手ぐすね引いて待ち構えているとか、奇怪なウワサが流れており、それを鵜呑みにして信じていた警官たちは、決死の覚悟で大本に突入したのでした。

 その日、出口王仁三郎は大阪・梅田の大正日日新聞社に出張しており不在。
 警官隊は二代教主・出口澄子をはじめ幹部を集め、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜索すると言い渡しました。
 捜索は綿密周到をきわめ、土足で踏み込むと、部屋という部屋の障子・襖を開けっ放しにして、押し入れ・タンス・本箱・机などを片っ端から引っかき回し、筆先・日誌・原稿・書簡・帳簿・写真など、およそ大本に関係ありそうなものは手当たり次第に押収して持ち去りました。

 当局は大本を国家転覆の陰謀団体として、内乱予備罪を適用して一気に葬り去るために、始めから捜索の目は、陰謀を裏付ける証拠物件を探すことに向けられていました。
 秘密文書や、竹槍・刀剣・爆弾などの凶器類、軍資金、地下室などです。

 警官隊は必死で探しまわった結果、200振りの日本刀を見つけましたが、これは愛剣家の信者が入信のときに献納したものでした。鉄砲や竹槍は一本も出てきませんでした。

 こっけいなのは地下室の捜索です。
 もともと大本には、熱心な求道者が瞑想し特別に修業する幽斎室のほかには、地下室というものはありませんでした。
 当局が問題とした「地下室」は、石垣を積んだ建物の土台の内側が埋め立てられずに空洞となっていただけのことで、そこは周囲から池の水がしみこんで30センチくらい溜まっていました。
 そこへシャツと猿股になった警官2人が、寒さにふるえながら潜り込んだのです。
 しかし2人はクモの巣だらけになって這い出てきただけでした。
 当局はこれにも懲りずに2回目の捜索のときも、検事みずから上衣を脱いで入り、何かないかと捜しまわりました。

 こうしたこっけいな捜索は、大本に竹やぶがあるのはいざというときのために竹槍をつくる用意のためであるとか、竹槍10万本を外部に発注したとか、密室における紙幣の贋造、婦女暴行、10人生き埋めなど、捏造された世間のウワサや告発に、当局がたくみに乗じたものでした。

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