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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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霊界物語の口述が始まる

 大正10年(1921年)2月12日に起きた第一次大本事件では、出口王仁三郎と大幹部の浅野和三郎、そして機関誌の編集・発行・印刷人である吉田祐定の三人が検挙され、不敬罪と新聞紙法違反で起訴されました。

 その年の10月5日に第一審判決が下されました。
 王仁三郎は不敬罪で懲役5年、浅野和三郎は不敬罪で懲役10ヶ月、吉田祐定は新聞紙法違反で禁固3ヶ月・罰金150円という判決です。
 大本側はこの判決を不満として即日控訴。検察側も、浅野の刑が軽すぎるとして控訴しました。

 大正13年7月の第二審判決は第一審通りの有罪となり、被告は即日上告。
 14年7月に、大審院は、事実誤認を事由として原判決を破棄し、事実審理を行なうことに決定。
 その審理中に大正天皇が崩御し、昭和2年(1927年)5月17日、大赦令により3人は免訴の判決を受け、訴訟は終結しました。

 当局が大本をつぶすために行なった弾圧でしたが、この裁判の期間中、大本の活動は停滞どころか、ますます発展を遂げていったのです。

 2月に大阪で検挙された王仁三郎は、126日間勾留された後、6月に責付出獄(身柄を親族などに預けて勾留を停止する制度)して綾部に帰りました。

 10月5日に第一審判決が出されると、当局は本宮山神殿の破却を命じ、10月20日から解体工事が始まりました。

 その2日前の10月18日。
 大本は、神殿に別れを告げるための本宮山神殿告別式を行いましたが、王仁三郎はその日から、霊界物語の口述に取りかかったのです。

 一審判決が出てから3日目の10月8日(旧9月8日)、王仁三郎に対し、
「明治31年旧2月に、神より開示しておいた霊界の消息を発表せよ」
 との神示がありました。
 明治31年旧2月とは、高熊山での1週間の修業のことです。
 さらに10月16日には、開祖の神霊から、その発表について厳しい督促があり、王仁三郎はその2日後から口述を開始したのです。

 本宮山(ほんぐうやま)の麓を流れる由良川(ゆらがわ)の畔に建つ松雲閣(しょううんかく)で王仁三郎は、本宮山神殿が破壊される音を聞きながら、霊界物語の口述をすすめていきました。

 神殿の破壊という「立替え」と、霊界物語の口述という「立直し」とが、同時に進行していったのです。
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