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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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敗戦の予言と天国茶碗

敗戦の予言

 昭和17年(1942年)8月7日、出口王仁三郎(71歳)は澄子(59歳)、宇知麿とともに保釈され、亀岡に帰ってきました。
 王仁三郎は自分が出所したときから日本は負け始めると予告しましたが、同じ日にソロモン諸島のガダルカナル島(日本が占領していました)に連合軍が上陸、このときから日本は敗戦は色濃くなっていったのです。

 開戦を決めた東条英機内閣は戦局を打開できず19年7月に総辞職。その後、小磯国昭と米内光政の連立内閣が誕生しましたが、王仁三郎は、
「ソロモン戦(ガダルカナル戦)からソロソロ負けて、小磯づたいに米(べい)内(うち)にはいる。小磯米内(ようない=よくない)、国(くに)昭(あけ)わたす」
 と語呂合わせで予言しました。
 翌20年4月に今度は鈴木貫太郎が首相になると、すかさず、
「日本は鈴木野(すすきの)になる」「日本はなごうは(=長くは)鈴木貫太郎(つづかんだろう)」とシャレを飛ばして日本の敗戦を暗示ました。

 17年4月18日に本土が初空襲にあいました。これは奇しくも6年前に綾部・亀岡の神苑が当局によって無理矢理売却させられ所有権が綾部町・亀岡町に移ったのと同じ日でした。

 以後、本土各地は空襲によって焼かれていったのです。
 王仁三郎は、「東京は空襲されるから早く疎開せよ」「大阪は焼野ケ原になる」「九州は空襲の本場だな」「京都は安全、金沢は空襲をうけない」など、いちいち信者に指示を与えました。
 さらに、「火の雨がふる。火の雨とは焼夷弾だけではない」「新兵器の戦いや」と語り、「広島は最後に一番ひどい目にあう。最大の被害を受けて火の海と化し、それで戦争は終わりだ」と原爆投下まで予言していました。

耀琓

 王仁三郎は19年の年末から、楽焼の茶碗つくりに取りかかりました。
 一日に数十個もつくり、21年の3月、36回目の窯出しで楽焼つくりが終わるまでに3000個以上も焼くという超人ぶりを発揮しています。
 その作品は王仁三郎を訪ねてくる信者に惜しげもなく与えました。

「ようわん」の「わん」の字
聖師の「耀碗」は
「碗」という字ではなく
「琓」と書きます
 王仁三郎のつくる茶碗は「耀琓(ようわん)」と名づけられ、独特の明るい色彩で彩られています。
 王仁三郎は「わしのつくるのは玉じゃ、茶わんは宝玉じゃ」といい、茶碗のわんの字を玉篇(王)に完と書く文字を使いました。

耀わん  耀わん  耀わん  耀わん 

 世の中がカーキ色一色で染まっていた時代に、心を楽しくさせるカラフルな色彩の茶碗…。
 王仁三郎は、大本が地上から抹殺され、日本が戦争で貧困のどん底にあったときに、一人で黙々と、天国の姿を表現した耀琓をつくり続けていたのです。
 立替え(破壊)の最中に、立直し(再生)のための準備を着々と進めていたのです。
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