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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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大本の新生と日本の新生

 昭和20年(1945年)12月8日、綾部で第二次大本事件解決奉告祭が行なわれました。
 まだ生活にも困窮している時代にもかかわらず、全国から1500人もの信者が参拝におとずれ、出口王仁三郎聖師夫妻の先達で天津祝詞を斉唱したのでした。
 大本の活動が禁止され、自分の家の中だけで細々と祝詞を唱えることしか許されなかった信者たちにとって、10年ぶりに皆で唱和する祝詞の声は深い感動に満ち溢れていました。

 祭典の後に行なわれた挨拶の中で、今後の大本の方針が発表されました。

「…近く亀岡を根拠として、愛善苑といふ世界平和を目標とする人類愛善運動を起されることになったのであります。愛善苑は、大正十四年六月に創立せられました人類愛善運動の趣旨をそのまま実地におこなって行かうといふのであります。

…私どもは一切の問題を愛善の心を以て解決して行き度いと思ふのであります。愛善とは最高の愛、最も高き最も深き大いなる愛であります。神様の御心、それこそ愛善そのものであります。神様の御心をそのまま心として我々の家庭の問題も、社会の問題も、今後は種々変転するであらう国際的な問題も、各々の立場立場を正しく理解し信じ合ひ、神様の御心に見直し聞直してすべてを解決して行く、これが永遠の世界平和を実現し得る唯一の道であるといふのが我々の信念であります。

…いづれの宗教も悉く救ひの大御心からその時代その所に応じて出現させられてをるものであります。それでありますから、すべての宗教は元は一つであり、万教は同根である、これが真理であります。この真理に目覚めてお互の垣を取外し互に手を握り合って平和日本の実現のために、平和世界の建設のために邁進しよう、これが我々の信念であり主張なのであります。

…この運動は、先づ我々の心の中に愛善の世界を開き、又我々の家庭を愛善の家とし、我々の郷土日本の国を、更に全世界を愛善の苑と化するといふ大理想の下に進ましていただき度いのであります。これが深い神様の思召だと存じまして、皆様方にもそのお気持で、どうか今後の愛善苑の運動につき全面的なお力添へ、御活動をお願ひ致し度いと思ふのであります。…」(第二次大本事件解決奉告祭挨拶)

 こうして翌年2月7日に、大本は「愛善苑」として新しいスタートを切ったのです。

吉岡発言

 王仁三郎はこの奉告祭の翌々日から鳥取県の吉岡温泉に滞在し、そこで新年を迎えました。
 このとき大阪朝日新聞の記者が取材に訪れ、王仁三郎に敗戦した日本の姿についての感想や、神道の変革や信教の自由についての見解を求めました。このときの談話は「予言的中“火の雨が降るぞよ”新しき神道を説く出口王仁三郎翁」との見出しで、12月30日付の同紙に掲載されました。

「…自分は支那事変前から第二次世界大戦の終るまで囚はれの身となり、綾部の本部をはじめ全国四千にのぼった教会を全部叩きこわされてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は再建せずして再建されてゐる。

…自分はただ全宇宙の統一和平を願ふばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。“火の雨が降るぞよ”のお告げも実際となって日本は敗けた。

これからは神道の考へ方が変ってくるだらう。国教としての神道がやかましくいはれているが、これは今までの解釈が間違ってゐたもので、民主主義でも神に変りがあるわけはない。ただほんたうの存在を忘れ、自分に都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀ってゐることが間違ひの根本だった。しかし大和民族は絶対に亡びるものでない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加はり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。

いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれてゐる。本当の世界平和は、全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。 」

   (吉岡発言の全文

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