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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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全米合気界に招かれて

平成20年(2008年)4月上旬、出口信一先生はアメリカの合気道団体に講演を依頼され訪米いたしました。これはその時のレポートです。

全米合気界に招かれて
出口信一

はじめに

 四月六日、日本からの使節団十七名は、ワシントンD・Cの聖武館(しょうぶかん)道場を訪れた。アメリカにおける植芝塾の本部である。現在傘下に百二十ヶ所の支部がある。
 今回全米の植芝塾に所属する合気道の師範がワシントンD・Cに集い、春季セミナーが行なわれた。
 この機会に「出口王仁三郎聖師とその教え」について講演してほしいとの依頼があり訪米したしだいである。

 さかのぼれば一昨年の春、植芝塾の主宰者でもある五月女貢(そうとめ みつぎ)先生ご夫妻には初めて綾部を訪問され、植芝家の奥都城(おくつき)を参拝された。五月女先生は植芝盛平翁の内弟子として約二十五間、側にいて指導を受けられ、盛平翁ご昇天後アメリカにて合気道の普及に尽力されてきた。一昨年の帰国は三十年振りとのことであった。
 その折「合気道は植芝先生の技と王仁三郎先生の精神が合一してはじめて合気道と言えます。今日その精神ともいえる王仁三郎聖師のことが語られなくなっています。是非アメリカの来て講演をして欲しい。」とのことであった。

 お互いに準備をして臨むことになった。大本に関する教えの本の持参と綾部の映像をDVDに収録して欲しいとのことであった。
 教えに関する英訳本は『霊界物語』に関するものはなく『お筆先』に関して故・日野巌(ひの いわお)先生が十七年間かけて翻訳されたものを京都在住のリチャード・スタイナー氏が持参。約三十四年振りに装いを新たに再版された。教えに関する英訳本としては唯一と言っていい。
合気道の指導をされる五月女先生
合気道の指導をされる五月女先生
お筆先の英訳本「OFUDESAKI」(愛善世界社)
お筆先の英訳本「OFUDESAKI」
愛善世界社で取り扱っています)

講演会

 さて話を戻そう。四月六日一行は聖武館道場を訪問。そして合気道の練習が終了して講演会が始まった。講演会に先だち出口直子・大畑静両名による八雲琴の演奏がなされ、続いてDVDの放映がなされた。
 五月女先生によって出口信一の紹介と今日までの経過が語られ講演に移ったのである。通訳にはリチャード・スタイナー氏が当った。
 講演会は次の通りである。

 「大正八年、植芝盛平師は北海道から郷里の和歌山県田辺市に父親の病気見舞のために帰省の列車の中で王仁三郎聖師の存在を知ります。父親の病気平癒を願う信仰深き盛平師は直ちに綾部に向かい王仁三郎聖師を訪ねるわけですが、そこで聖師の人柄に感銘します。盛平師の願いも空しく父親は昇天されますが、元々神霊の実在に関心のあった盛平師は翌大正九年に一家をあげて綾部に移住されました。

 この時聖師は一家の為に綾部の聖地・本宮山(ほんぐうやま)山麓に住居を、そして「植芝塾」という道場を盛平師のために設けました。植芝盛平師の綾部での生活は北海道での開拓の経験を生かした農地開墾であり、次々と荒地を畑に開墾し“巨岩を一人で抱えた”等のエピソードもあります。「農武一如」のスローガンを掲げたのもこの頃です。

 王仁三郎聖師は盛平師に「貴方の天職は武道だから、その道に精進するように」とアドバイスをした。そして盛平師の武術に「相生流」(あいおいりゅう)と名付けます。「相生」とは天と地を意味し、相手を倒す武術から相手を生かす、また相共に生きるという意味に価値が一変する瞬間でもありました。相生流から相気そして現在の合気と変遷してゆくわけですが、その理念は変わることなく現在も根底に息づいています。

 当時の綾部は、今日もそうですが、都会から遠く離れた僻地でした。交通、経済、文化に恵まれない辺鄙な環境にあって、その後全国に拡大する大本は爆発的に拡がりをみせる胎動期でもありました。

 綾部は日本屈指の軍港を抱える舞鶴に近く、海軍の軍人たちの入信が相次ぎ、そのために盛平師は軍人にも合気道を教えることになるわけですが、その妙技は次第に拡がり、演武のために上京の機会が増えてゆきます。この頃大本への入信者が相次ぎ、瞬く間に膨み始めて行きます。

 世の終末を訴える大本の開祖のお筆先に共感する人々の論調は次第に激しさを増して来ました。王仁三郎聖師の日米開戦の予言もこれに拍車をかけるように世間を騒がせて行きます。

 そのような経緯を経て政府による大本弾圧は複雑な背景を持ちながら大正十年二月十二日に始まりました。同年十月には綾部の神殿が政府の手によって取り壊されますが、その年十年十八日より王仁三郎聖師は全巻八十三巻に及ぶ神示による「霊界物語」の口述を始めます。

 この時、盛平師は常に王仁三郎聖師の側にいて『霊界物語』の口述されてゆく様子を観察することで神界の状態への認識を深めて行きました。後に盛平師の説く相対的世界を超えた合気道の精神的支柱である「万有愛護」という、いわば絶対的境地に立った精神への昇華はこの頃に確立したといえます。
講演中の出口信一先生 通訳はリチャード・スタイナー氏
講演中の出口信一先生
通訳はリチャード・スタイナー氏

モンゴルへ

 王仁三郎聖師の日本国内に於ける宗教活動は、弾圧という事態によって極度に制限されました。そこで長年の構想であった満州、内モンゴルへと旅立つわけですが、目的は満州、内蒙古を独立国家として建国し、欧米各国の植民地とされているアジア諸国を開放するという壮大な構想でもありました。五族協和の精神による多民族が共生できる国家であり、しかもイスラーム、キリスト教、仏教、儒教、神道が共存する万教同根の理念を掲げています。共通言語は世界共通語であるエスペラントを採用するという方針でもありました。いわば西のアメリカ合衆国に対応する東の合衆国です。この構想は日本政府によって換骨奪胎されて行き、満州を日本の傀儡国家に仕立てて間接統治をもくろみますが、このことが後に満州事変を生み、後の太平洋戦争への導火線となって行きました。

 王仁三郎聖師の入蒙の究極的な目的も日本を敗戦に導くというものであったとの見方もできます。真に日本を救済する経綸でもあったのです。

 さて、大正十三年二月十三日綾部を発った一行は同夜中国の奉天(現・瀋陽)に到着します。同行者は五名。その中に盛平師はいました。蒙古滞在中は常に王仁三郎聖師と共に行動しましたが、時間を見つけては蒙古人に合気道を教えたようです。詳しくは『王仁入蒙記』に述べられています。

 当時、政府の監視下に置かれていた王仁三郎聖師には自由が許されていませんでした。王仁三郎聖師の入蒙はまさしく日本政府の神経を逆撫でするものでした。蒙古で拘束された後、日本に送られた王仁三郎聖師は再び囚れの身となるわけですが、入蒙は盛平師の眼を世界へ見開かせる契機となりました。
会津藩士 武田惣角 門人 植芝守高  守高は聖師が授けた名前で植芝翁は好んで使っていた
会津藩士 武田惣角 門人 植芝守高
守高は聖師が授けた名前で植芝翁は好んで使っていた
門弟に授けられた奥儀書の中に相生流と記されている また割印には合気柔術と銘記されている
門弟に授けられた奥儀書の中に相生流と記されている
また割印には合気柔術と銘記されている

盛平翁の上京

 大正十四年頃、王仁三郎聖師は盛平師に上京を促します。王仁三郎聖師の真意を悟った盛平師は海軍幹部らの勧めもあって東京に道場を開きます。これを盛平師が王仁三郎聖師と袂を分ったと誤解する人もありますが、それは間違いです。二人には未来に向けての固い仕組がなされていました。王仁三郎聖師は盛平師が綾部にいることで大本事件の影響もあり、合気道の普及が遅れることを懸念したのです。

 さて、東京に拠点を開いてからの盛平師の活躍は飛躍的に拡大しました。単に合気道の技を教えるのではなく、技の根源にまで及んで説くことで、相対的武道から自己もなければ敵もないという絶対的境地に至る合気道の完成を目指したのです。盛平師は生前「合気道が強くなりたかったら『霊界物語』を読みなさい」と弟子に諭しています。「合気は愛なり」とは、まさしく神の子であり、神の宿る存在である人の尊厳を意味しています。盛平師は合気道を通して世界の各民族が自立し、融和しあいながら平和な人類愛に目覚めた世界の創造を説いています。

 王仁三郎聖師は神の教えを合気道を通じて世界に伝えようとしたのです。盛平師が折々に発した“天の浮き橋”とは霊界物語によると、信仰への架け橋、神の世界へ渡る橋という意味になります。合気道を学ぶ事は人としての魂の領域を拡げ、かつ自らの意志想念を清らかにして慈愛に満ちた心を築くことにあります。そして利己的な働きでなく、利他的な働きに自らが転換して行くところに合気道本来の目的があります。神の御心を理解し、その心に近づくことが人生の真の目的なのです。盛平師は合気道を通じて、そのことを教えました。

 王仁三郎聖師と盛平師の目指した目的の一部は合気道の世界的普及という形で達成されつつあります。残りの半分は合気道のバックボーンともいうべき精神性の理解であります。この両者が合一して初めて霊体合一、神人一致の理想が実現するわけですが、それは王仁三郎聖師と盛平師が希求して止まない最終目的でありました。

 思えば王仁三郎聖師と盛平師の人生は多くの障害が次々目の前に立ちはだかる人生でした。しかし、あらゆる苦難を乗り切ったエネルギーの源泉とも言える二人の未来へのビジョンは今も瑞々しく生き続けています。盛平師は生涯王仁三郎聖師を敬い、神の教えに素直に従うことを信条としました。そして二人の交わした無意識の約束である地上に天国を樹てるという理想は、あたかも地下水脈のように今もエネルギッシュに流れ続いています。今こそ二人の理想を受け継ぎ開花させて行く事が希求されています。

 国境を超え、民族を超えて王仁三郎聖師と盛平師の理想実現のために立ち上がることを願ってやみません。」
五月女先生ご夫妻(右)と出口信一先生ご夫妻(左)
五月女先生ご夫妻(右)と出口信一先生ご夫妻(左)
(このレポートは『愛善世界』平成20年6月号に掲載されたものを元にしたものです)
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