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左上「大本」の題字は
出口王仁三郎聖師筆
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神童と呼ばれる

 上田喜三郎(うえだきさぶろう。後の出口王仁三郎)は、明治4(1871)年旧7月12日、亀岡町穴太村(現在の京都府亀岡市曽我部町穴太)の農家で生まれました。
 父は上田吉松(よしまつ)、母はよねといいます。
 先祖には高名な画家である円山応挙(1733〜1795年)がいます。円山応挙は江戸時代中期に活躍した絵師で、喜三郎の七代前の先祖です。

 幼少のころの喜三郎は病気がちでした。6才のときには漆(うるし)にかぶれて、その腫れが体全体に広がり、9才までの間、病床に伏していました。そのために小学校は他人よりも遅れて入学することになりました。

 しかし喜三郎は記憶力が抜群で、村人から神童・地獄耳・八ッ耳と呼ばれ、小学校入学は遅れても、喜三郎の学力は進んでいきました。
 また彼には良い教育係がついていました。それは祖母の宇能(うの)です。彼女は言霊学(げんれいがく)中興の祖といわれる中村孝道(なかむら こうどう)の妹で、当時田舎にはまれに見る教養の持ち主でした。
 幼少の喜三郎に与えた影響は大きく、彼は祖母から言霊学の手ほどきを受け、これが後の言霊学の大成に大いに役立ちました。
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