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元伊勢お水の御用について

 岩戸を開いて、元伊勢のウブガマのウブダライの御ン水は、昔からチツトも変らん水晶のその御ン水を、世の立替について、明治三十四年の三月の八日に、世界の水は一平に泥水であるから、其の泥水(どろうみ)の中に住みて居る人民、段々一年増しに、今表面(うへ)から見ては何とも無いが、モウ表面も飾られん世に成るし、まだまだ強い者勝ちに成るぞよ。
 夫れで水晶の御ン水を頂きて、綾部の邸の内には、その結構な御水で、身魂の洗濯を日々致して居るのじやぞよ。女島(めしま)と男島(おしま)との間にも、此の御水を少し滌(そそ)いであるが、此の御水が世界中へ廻(めぐ)りたらボツボツと大望(たいまう)を始めると申して在るが、モウ廻りたから、是からは世界に何が在らうやら知れんぞよ。
『大本神諭』 明治三十六年旧五月十九日
元伊勢 水の御用 百十年記念参拝
110年前、「水晶のお水」が汲まれた産釜・産だらいの岩窟
 明治34年4月26日(旧3月8日)、国祖 国常立尊の神示に従って、開祖出口なお、王仁三郎、澄ら一行42名は丹後の元伊勢内宮・外宮に参拝、「世界を一つに致す経綸(しぐみ)の御用」のため、宮川(五十鈴川)のほとりにある産釜・産だらいの岩穴より、神代の昔から汲まれたことのないという、汲み取り禁制の「生粋の水晶のお水」をいただいて帰った。

 ご神水は綾部の聖地の井戸(金明水・銀明水など)に注がれ、さらに開祖によって沓島・冠島間の龍宮海に撒布された。そして同じ年、出雲より持ち帰ったお水を元伊勢のお水、金明水のお水と合わせて、開祖により再び龍宮海に注ぎ入れられた。そのとき開祖は、「この水が三年経てば世界中へ廻るから、そしたら世界が動き出す」と言われたが、お言葉通り三年後に日露戦争が起こり、世界が大きく動き出したのである。そして第一次世界大戦、第二次世界大戦と人類の苦難の歴史を経て、真の平和世界、みろくの世への道程が示されていく。
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