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大本神諭

開祖のお筆先
開祖のお筆先

お筆先と大本神論

 お筆先(おふでさき)は出口なお開祖に国祖・国常立尊(くにとこたちのみこと)が懸かられて、半紙に筆で書き記されたもので、明治25年(1892年)から、開祖が昇天された大正7年(1918年)までの27年間にわたり書かれたものです。その量は半紙20万枚以上にも及びます。

 文字を知らず、学問的素養がなかった開祖に神が懸かられて自動書記的に書かれたもので、その文字は独特です。「金釘流」(かなくぎりゅう…文字が下手なこと)と言われますが、書家の中には「六朝体(りくちょうたい)に似た一種の風格を備え、凡人の筆跡ではない」と称賛する人もいました。

 お筆先は平仮名と数字ばかりで書かれており、句読点すらなく、読むのはなかなか困難です。またいろいろな意味に読めるため、自分勝手な解釈をする人も出てきます。そこで大正時代に王仁三郎聖師が漢字を当てて句読点をつけ、それを「大本神諭」として発表しました。

 開祖のお筆先を神示にしたがって取捨按配して発表したのが大本神諭である、と王仁三郎聖師は述べています(霊界物語第7巻総説)

予言の適中

 大本神諭の内容は、大本出現の由来と使命、神々の因縁、日本民族の使命、また世界、人類など、非常に広範囲にわたっています。
 もっとも大きな特徴は、「立替え立直し」「世の大峠」と呼ばれる未来についての予言と警告です。

 実際にそのことが起きる何年も前に、日清戦争や日露戦争の勃発、さらには第二次世界大戦での日本の敗戦までもが予言されていたのです。
 しかし単なる予言ではなく、「日本の人民から改心をして下さらぬと、世界の人民三分になるぞよ」──と、実現しては大変なことになるという、警告も発しているのです。

 世の中には、未来に関する悲観的な予言がたくさんあります。しかし大本の場合は、このままだと元の泥海(どろうみ)と化すから、そうならないようにせよ、という人類に対する警告なのであり、決して人類の破滅を望んだり、信仰している自分たちだけは助かるから、と言って半強制的に入信させるような教えではありません。そのことは次の大本神諭によく現れています。

「この大本は、ほかの教会のように、人を多勢寄せて、それで結構と申すような所でないから、人を引っ張りには行って下さるなよ。因縁ある身魂(みたま)を神が引き寄せて、それぞれに御用を申し付けるのであるぞよ。」(大本神諭 明治32年旧7月1日)

救世の誓約

 大本神諭の大きな特徴がもう一つあります。
 それは、虫けらまでも救う神である、という救世の誓約です。

 「基本宣伝歌」の中にも「この世を救ふ生神(いきがみ)は 高天原(たかあまはら)に神集ふ」というフレーズがあります。
 これは因縁ある神々と人間が地の高天原(綾部のこと)に集まり、神人一体となって救いの神業を進めていく、という意味です。
 そのためにはどうしても「救い」の教えが必要となってきます。

 それが、王仁三郎聖師が口述した「霊界物語」です。
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