高熊山の修業から帰った喜三郎は、今までの牧畜業をやめて、霊的修業と宣教に専念するようになりました。
やがて喜三郎は神示を受けました。
「一日も早く西北の方をさして行け、神界の仕組がしてある。お前の来るのを待っている人がいる。何事にもとんちゃくすることなく、すみやかにここをたって園部(そのべ)の方へ向かって行け。」
この神示にいよいよ喜三郎は、生まれ故郷の穴太(あなお)を出る決心をして、祖母や母に別れを告げて、山陰街道を園部をめざして出発しました。
そして亀岡から8キロほどの八木(やぎ)の茶店で、出口なお開祖の三女の福島ひさと出会ったのです。
その後、綾部に出向き、ついに神界の仕組の人である出口なお開祖との対面が実現したのでした。
出口なおと喜三郎──
綾部と亀岡で、お互いの顔も知らずに別々に人生を歩み、生きてきたこの二人が、それぞれに与えられた神示によって出会い、活動をともにすることになったのは、まったく神の仕組であると言わざるを得ません。
やがて喜三郎は神示を受けました。
「一日も早く西北の方をさして行け、神界の仕組がしてある。お前の来るのを待っている人がいる。何事にもとんちゃくすることなく、すみやかにここをたって園部(そのべ)の方へ向かって行け。」
この神示にいよいよ喜三郎は、生まれ故郷の穴太(あなお)を出る決心をして、祖母や母に別れを告げて、山陰街道を園部をめざして出発しました。
そして亀岡から8キロほどの八木(やぎ)の茶店で、出口なお開祖の三女の福島ひさと出会ったのです。
その後、綾部に出向き、ついに神界の仕組の人である出口なお開祖との対面が実現したのでした。
出口なおと喜三郎──
綾部と亀岡で、お互いの顔も知らずに別々に人生を歩み、生きてきたこの二人が、それぞれに与えられた神示によって出会い、活動をともにすることになったのは、まったく神の仕組であると言わざるを得ません。