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香良洲神社と大本

『大本神諭』(明治45年旧3月15日)
(出口直 七十七歳 明治四十五年の旧三月八日立ちで)御伊勢の大神宮殿い参拝致したのは、まざ昔から無い事でありたぞよ。御加良須の御宮い同じ身魂の出口直と引添(ひつそう)て御迎ひに参りた御供は結構でありたぞよ。世の変り目の金輪際の折でありた

『玉鏡』(出口王仁三郎著)
「素尊と稚姫岐美命」
 神世の昔、素盞嗚尊様と稚姫岐美命様との間にエロ関係があった。大日孁尊(おほひるめのみこと)様がこれをさとられて、天津罪を犯したものとして生木を割くようにして、はるばる高麗(こま)の国へ稚姫岐美命様を追いやられた。
 風の朝(あした)、雨の夕(ゆうべ)、天教山を遠く離れた異郷にあって、尊恋しさに泣き明かす姫命は思いに堪えかねて、烏(からす)の羽裏に恋文をしたため、この切なる思いの願わくは途中妨げらるる事なく尊様の御手に入れかしと祈りを篭めて烏を放った。烏の羽裏に文を書いたのは、黒に墨、誰が見ても一寸分らぬようにと用意周到なるお考えからであった。
 烏は玄海の荒浪をこえ、中国の山また山を遙か下界に眺めつつ、息をも休めず、飛びに飛んで伊勢の国まで辿りついたのである。この時烏はもう極度に疲れてしまって、あわれ稚姫岐美命の燃ゆる恋情を永久に秘めて、その地で死んでしまったのである。
 今のお烏神社のあるところがその地なのである。だからお烏神社の御神体は、この烏の羽根だという説がある。
 こなた、今日か明日かと尊様の御返事を待ち佗びた姫命は、何時迄たっても烏が復命しないので、ついに意を決して自転倒島(おのころじま)へと渡り給うたのである。しかしながら、どこまでもこの恋は呪われて、ちょうど高天原においての素盞嗚尊様もおもいは同じ恋衣、朝鮮からの便りが一向ないので痛く心をなやませたまい、姫命にあって積る思いを晴らさんと、ついに自ら朝鮮に下られたのである。ああしかし尊が壇山(だんざん)に到着された時は、姫命の影も姿も見えなかつた。行き違いになったのである。
 かくて稚姫岐美命は遂に紀州の和歌の浦で神去りましたのである。玉津島明神、これが稚姫岐美命様をお祀り申上げたものである。
<昭和6年7月>
※大日孁尊 … 天照大神の別名。
※玉津島については『霊界物語』第33巻・第26章「若の浦」をご参照下さい。
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