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第1巻 第3篇 天地の剖判

第1巻 第3篇 天地の剖判

第20章 日地月の発生 P115

 この章の冒頭に次のように書いてあります。
「盲目の神使に迎へられて、自分は地の高天原たかあまはらへたどりついたが、自分の眼の前には、何時のまにか、大地の主宰神にまします国常立大神くにとこたちのおほかみと、稚姫君命わかひめぎみのみことが」出現された(P115)。
 「地の高天原」とは綾部のことです。
 稚姫君命は、出口直開祖の神霊です。国祖・国常立大神は直接、出口直に神懸ったのではなく、稚姫君命にメッセージを託され、稚姫君命から出口直にメッセージが伝えられました。これを「間接内流」と呼びます。

 この章には、日・地・月の発生が宇宙剖判のことから記されています。
「自分は須弥仙山しゆみせんざんの頂上に立つて、大神より賜はつた天眼鏡てんがんきやうを取り出して、八方を眺めはじめた。すると茫々たる宇宙の渾沌たる中に、どこともなしに一つの球い凝塊かたまりができるのが見える。」(P116)
 これが天祥地瑞てんしょうちずい(※)には次のように書かれてあります。
※天祥地瑞…霊界物語の第73巻から第81巻までの9巻を指す。

「天もなく地もなく宇宙もなく、大虚空中に一点のヽ(ほち)忽然と顕れ給ふ。」(第73巻第1章)
 音も色も何もない「幽の幽」の世界に、霊的に一点のヽ(ほち)が顕れた。そこから「ス」という言霊ことたまが生まれます。「ス」が四方八方に伸び切って行った極みに「ウ」という言霊が生まれ、さらに「ウ」がどんどん天井に昇って行って、天に「ア」が生まれた。さらに地上に降りて「オ」が生まれた。天に昇ったり地に降りたりしてアオウエイの五大父音ふおんが生まれ、ここから七十五声の言霊が生まれました。
 この言霊が全大宇宙に止まずに鳴っています。
 生きている、ということは音声がある、ということです。私たちの肉体から音が全部消えたらどうなるか。
 心臓の動く音、血液の流れる音、肉体のすべての音声が消えたときは、それは死んでるということです。
 宇宙も同じです。
 宇宙も大轟音の中にあります。車でもスイッチを入れて始めて音が出る。音というのは「生命」とか「働き」ということに関連してきます。

 一点のヽ(ほち)から宇宙は剖判され、そして金の円柱が出現します。それが金色の竜体に変化して地球上を這い回り、山や川が誕生しました。
 金竜のお名前は大国常立命おほくにとこたちのみことといいます(P117)。この神様は「つきの大神」となられます(P120)。
 「撞(つき)の大神」というのは「撞賢木厳之御魂天盛留向津媛命(つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめのみこと)」を略した呼び名です。
 竜神と竜体は異なります。神様は竜体──竜の体に還元されることで始めて絶大なる力が出ます。地上の修理固成が終わり、竜体を持つ必要がなくなったから、人間の姿にかえられました。

 こうして地上界に太陽や月が誕生しました。神々の霊的なお働きがなかったら絶対にこの地上界は存在しなかったでしょう。我々人間は動物や植物とこの地球上で共存しているわけですが、地上には生命が生息できる条件がいっぱいあります。
 まず、空気や水がないとダメですし、オゾン層がないと宇宙からの放射線により生物は死んでしまいます。地球の気温だとか、いろいろなことを考えると、幾重にも生命を保てるように、絶対的意志により守られているんだということがわかります。どれか一つが欠けても生命は存在できません。大きな意志のお働きにより、人間はこの地上界に住まわせてもらっているのです。
 出口王仁三郎聖師がお作りになった「感謝祈願詞(みやびのことば)」という祝詞の中には、宇宙剖判のことや、我々人間がどういう存在なのかが示されています(第60巻第16章)。
 絶対なる意志は我々人間を地上界に住まわせようと、太陽やお月様や大地を造られた。それはみな、我々人間のためです。
 人間は神の代理者として絶大なる責任があります。神の代理者として地上界を経営、運営することを神様から委ねられています。そういう一人一人の自覚が大切だということも王仁三郎聖師は教えられています。

第21章 大地の修理固成 P122

 金の柱がうしとら(東北)からひつじさる(西南)の方向に倒れた。その倒れたそのままの姿なのが日本列島です(P127)。地図を見ると日本列島は竜の形に見えます。どちらが頭かというと、両方とも頭で両方とも尻尾です。艮の金神の方から見ると北海道が頭で、坤の金神の方から見ると九州が頭になります。
 台湾は国家としては別の国ですけど、国魂くにたま的に見ると日本の一部になります。台湾は高砂島たかさごじまといって、竜の冠に当たります。これには重要な意味があり、第2巻に詳しく書いてあります。
 台湾と日本には、切っても切れぬ霊的関係があるのです。

「日本の土地全体は、すべて大神の御肉体である。」(P128)
 艮の金神、国常立尊の肉体である大地を無機質、無機物と考えてしまうと大変なことになります。自然を平気で破壊するようなことになります。
 神様の体の上に住まわせてもらっているということはすごいことです。その感性、感覚を私たちは取り戻す必要があります。

みことはかくの如くにして人類を始め、動物、植物等をお創造つくり遊ばされて、人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与せられて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。これが人生の目的である。」(P124)
 ここに書いてあるように、日・月の霊魂を私たちはいただいています。私たちは自分の身体、自分の霊魂だと思っていますが、本当は神様から与えられ賦与された借り物、預かり物なのです。
 「神の御意志を実行する機関となし給うた」これが人生の目的です。王仁三郎聖師はこれを「天職」と言っています。今はこの天職が忘れられています。
 自分に合う仕事のことを天職と言いますが、それは本来は天職と言わずに、日常的に授けられた「生業」と言います。
 生業というのは私たちの肉体を養うための仕事のことで、こちらの仕事も大事ですが、こちらの仕事だけが人生だと思ってしまいがちです。
 いかに勝ち抜いて生き抜き、蹴落として行くか、それが人生なんだと思われている。弱肉強食、優勝劣敗、そこに色々な争いごとや怨念が生じ、そのためにこの地上界が地獄になっていく。
 天職という神様から賦与されたものがあるんだということに早く目覚めなくてはいけません。人間は神様の御意志を実行するために生きているのです。

 我々の日常の言葉、恨みの言葉、呪詛の言葉、怒りの言葉、これらは天地を曇らしてゆくばかりでなく、自分の魂も曇らして行きます。何事も善言美詞ぜんげんびしに宣り直すことによって、その曇りを取ることが出来ます。言葉の力は神の言霊によって無限の力を発揮します。
 神の言霊で万物が創造されました。我々は祝詞を少しでも神様の心になって唱えることができるようになれば、世の中はもっと変わって行きます。自分の中が、自分の家族が、天国になって行きます。神の言霊は天国を開いて行くのです。

第22章 国祖御隠退の御因縁 P130

 大国常立尊おほくにとこたちのみことという御神名が出てきますが、大国常立尊という神様は宇宙創造の主神のことです。それに対して国常立尊くにとこたちのみことという神様は、この地球界、地上神界の主宰神のことであり、大国常立尊の分霊です。
 神様は分霊する度に御神名が変化して行きます。国常立尊の神系に天照大神あまてらすおほかみが在りますが、天照皇大神あまてらすすめおほかみとは神格が異なります(このことは第47巻、第48巻に書かれています)。
 国祖・国常立尊が地上神界の主宰神でした。地上はたいへん穏やかな状態でしたが、ランプの傘にロウソクのすすが溜まって行くように、きれいな世界も少しずつ曇って行きました。
 この曇りが溜まったのが邪神です。
 邪神の働きがだんだんと拡がって行くにつれて、このまま世が乱れて行ってはいけないと、天地の律法(規則)を国祖の神が定めることになりました。
 律法の制定によって、今まで自由にしていた八百万の神々は窮屈になって行きます。そこで国祖を封じ込めて自分たちの自由な世界をつくりたいと考える神々が出てきました。盤古大神ばんこだいじん大自在天神だいじざいてんじんを頭目にしてこの地上界を自分たちの自由にしようとする神々が現われ、こうして盤古大神、大自在天神、国常立尊の三大勢力が生じたのです。
 邪神たちは国祖を隠退させるために様々な謀略を駆使し、とうとう国祖は隠退せざるを得なくなってしまいました。これが霊界物語の最初の物語です。
 何故、どのようにして国祖は隠退をしなくてはならなかったのか、隠退した後はどうなるのか、復権されるのか、そういった内容がこの霊界物語の最初の部分の重要な場面です。
 結局、国祖は邪神のために隠退させられますが、国祖に代わって地上神界の主宰神となったのが、盤古大神です。
 盤古大神は今の中国に生まれた神で、日の大神・伊邪那岐命いざなぎのみことのご油断によって手のまたを潜って地上界に降りて来ました。
 大自在天神は天王星から降った勇壮な神です。
 盤古大神も大自在天神も、もともとは悪神ではありません。(第2巻総説P7)

 国祖隠退に先立ち、まず国祖を支えていた神々が邪神の謀略により追放させられます。
 国祖は手足をもがれるように孤立無援の状態で隠退させられたのです。
 一番最初に隠退させられたのは、稚姫君命わかひめぎみのみことです。この神は国祖国常立尊の神示・メッセージを伝達する媒介者で、高天原に於ける一番最初の天使長です。
「稚姫君命は、天稚彦あめのわかひこと共に神命を奉じて天に上り、天界の神政を司らうとしたまうたが、御昇天の途上において、地上からつき従うた邪神どもにあやまられ、天地経綸の機織はた仕組しぐみを仕損じたまひ」(P131)
 詳しい経緯は第2巻に出てきます。(第2巻では稚姫君命は稚桜姫命わかざくらひめのみことという名前で登場します)

 次に大八洲彦命おほやしまひこのみことが隠退させられました。この神は素盞嗚尊すさのをのみこと国大立之命くにひろたちのみことという名で登場します)の四魂しこんのうちの和魂にぎみたまで、インドに生まれてお釈迦様になります(第3巻第43章)。
 大八洲彦命の後にも次から次へと国祖の周りにいる神たちは隠退させらます。孤立無援になったとき、国祖は追放されてしまいました。
 京都府綾部の北に若狭湾があり、この海上に沓島めしま冠島おしまという無人島があります。国祖はこの島に三千年もの長い間、封じ込められていたのです。
 再び国祖が復権されたのは明治25年です。出口直開祖の肉体を通して、次のような宣言を出されました。
「三千世界一度に開く梅の花、うしとら金神こんじんの世になりたぞよ。」
 国祖・国常立尊が何故「艮の金神」と呼ばれるのかというと、世界の艮の方位(東北)に封じ込められたからです。
 稚姫君命は出口直の守護神で、国常立尊の神業の媒介者でもあります。

第23章 黄金の大橋 P137

 神界の大河にかかる黄金の大橋を渡るには、すべての荷物を捨てて、裸足になって、足の裏をきちんと付けて渡らないと、滑ってしまい容易には渡れません。(P138)
 黄金の大橋は真の信仰に入るための一つの橋であるといえます。神様の信仰を本当にするときは、すべての物を捨てて裸になり、裸足になって行かなくてはいけません。
 この大橋は金輪際こんりんざい(※)から立っています(第24章P145)。金輪際といったら世の元からあるわけです。
※金輪際…仏教用語で、地底の最下層のところ。無限に深い。

「竜宮は主として竜神の集まる所で、竜神が解脱して美しい男女の姿と生れかわる神界の修業所である」(P140)
 竜神は人より霊魂が一段低く、獣の域を脱しません。竜神は海に極寒極熱の一千年を苦行し、山中にまた一千年、河にまた一千年、計三千年修業して初めて、人として生まれてきます。女性の場合は一生涯、配偶者を持つことはできません。三千年の修業がフイになるからです。(第17章P96~97参照)
 そういう人は結婚に縁がなく、どこか自分で拒絶して、結婚する縁に恵まれません。尼さんになるとか、神に仕えるとか、そういう生涯を送ることによって、次に生まれてきたときは、普通の幸福な人生を送ることができます。
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