上田喜三郎(きさぶろう。王仁三郎の幼名)の学歴は小学校中退です。担任教師とのトラブルがもとで退学させられたからです。
授業中に、大岡忠相(時代劇で有名な名奉行の大岡越前)の名を“ただあい”と読んだ担任教師の誤りを、喜三郎が「それは“ただすけ”です」と指摘しました。
その後その教師は喜三郎を不当にいじめるようになり、喜三郎もこれに反発、二人の関係はこじれ、トラブルは高じていきました。
ついに学校側でもこの事態を無視できなくなり、喜三郎を退学処分に処しました。
またそれと同時に、担任教師も免職となりました。そのため教員に欠員ができた学校は、なんと喜三郎を代用教員として雇うことにしたのです。
喜三郎少年は退学して数日後に、満12才の若さで教壇に立ちました。これは当時でも極めて異例のことです。
王仁三郎はこの頃を回想して次のように歌を詠んでおられます。
授業中に、大岡忠相(時代劇で有名な名奉行の大岡越前)の名を“ただあい”と読んだ担任教師の誤りを、喜三郎が「それは“ただすけ”です」と指摘しました。
その後その教師は喜三郎を不当にいじめるようになり、喜三郎もこれに反発、二人の関係はこじれ、トラブルは高じていきました。
ついに学校側でもこの事態を無視できなくなり、喜三郎を退学処分に処しました。
またそれと同時に、担任教師も免職となりました。そのため教員に欠員ができた学校は、なんと喜三郎を代用教員として雇うことにしたのです。
喜三郎少年は退学して数日後に、満12才の若さで教壇に立ちました。これは当時でも極めて異例のことです。
王仁三郎はこの頃を回想して次のように歌を詠んでおられます。
背の高き生徒におぶさりボールドに白字しるして教鞭をとる
まん二ねん小学校に教鞭をとりて十五の春にしりぞく
まん二ねん小学校に教鞭をとりて十五の春にしりぞく