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皇道と大正維新

皇道

 王仁三郎はまず、一般の神道は「一千有余年間に輸入せる儒仏の教義を、国体的に順化したる人工的教義なれば、実際的に世道人心を利益するあたわざる教理」として批判しました。
 そして真正の皇道とは、「我が皇祖及び神祖の教示し給える天理人道の根本義」「天下を統治する神法神則」「人の世に処する根本法則」であると主張しました。

 ──太古に国祖・国常立尊が艮へ退隠された時から、この世にありとあらゆる悪と汚濁が生じた。
 ことに崇神天皇以来二千年間の和光同塵の政策によって、真正の皇道は隠されてきたが、それでも神国日本の根本思想が外来の思想文物におかされずに、これを消化して日本化することができたのは、国祖の陰からの守護があったからである。
 このように世界の人間がことごとく痛苦に病む時代に当って、いったん退隠された国祖を再び世に出し、松の世(平和な世)に大転換が行なわれようとするのは、ひとえに皇祖の聖慮によるものだ。
 みろくの世とは皇道実現の世であり、皇道維新によって立替え立直しは成就する。そのために大本は出現したのである──と強調しました。

 つまり、神の教を地上に実現する指導原理が皇道であり、皇道大本と改称したのは、実現実行の時機到来を意味するものでした。
 その手はじめに、我が国に国家家族制度を実施して、その好成績を世界万国に示し、やがて世界各国みなその徳を一つにする世界大家族制度の実現実行をはかろう、というものです。
 その実行方策として次の大正維新論が展開されたのでした。

大正維新論

 王仁三郎はまず、国家存立の基礎を、財力と武力の強大に求めた明治政府の富国強兵策は、国を誤るものだと指摘しました。

 ──国家が金銀為本の政策をとっているために、人生の根本義が失われ、富貴功名を人生の理想として猛獣の如く生存競争に熱中し、金銀の多寡によつて貴賎を定める人為的区別が生じて来た。
 金銀為本の国家経済が、国家間の存立競争と人生の不安不平を醸成する禍因である。この弊害を絶ち切るには、国家家族制度を実施する以外の道はなく、その第一歩は、弱肉強食の野蛮な社会の遺風である租税徴収の悪制を根本から廃絶することだ──と主張しました。

 また、真正の皇道にもとづく文教政策の樹立を主張し、宗教・教育制度の根本的改革を述べています。
 王仁三郎の大正維新論は、明治維新の王政復古に対する、神政復古の主張であり、「神にかえれ」の叫びでもありました。
 神政とは神意・神愛にもとづく政治で、神代とは、すべてのものが各自の大本源を自覚し、天職を成しとげる世を意味し、神政に復古してはじめて、地上に天国さながらの理想社会を実現することができると王仁三郎はいいます。

 注目されることは、皇道論・大正維新論の随所に、天津日嗣天皇の御稜威(みいず)とか、大日本天皇の天職・使命が強調されていることです。
 これは巨大な天皇制下においては、天皇に仮托して自己の主張を述べる以外に発言の道がなかったためです。
 しかし、統治者としてのあるべき姿勢を指摘し強調することが、即現状の批判につながっている事実を見逃すことはできません。

 王仁三郎の説く皇道論と大正維新論は、神道を国教化し、富国強兵を国策とする王政復古の<天皇制権力>明治政府に対する批判でもあったのです。
 たとえば、「神聖なる大日本天皇の御天職に在します所の済世安民の経綸を始め給う第一歩」は、租税制度の廃絶だといっています。

 王仁三郎の皇道論・大正維新論は、やがて人類愛善主義の強調となり、昭和8年以降は皇道論・昭和維新論として再登場します。
 時代に応じて表現と運動の形式に変遷はありますが、「神にかえれ」、「神にめざめよ」の叫びと愛善精神の主張が、つねにその基調をつらぬいていました。


(この項は、出口榮二・著『大本教事件』p94~96の文章を、ほぼそのままの形で使用させていただきました。 )
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