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高熊山での修業

 高熊山(たかくまやま)は、喜三郎の生まれた曽我部町(そがべちょう)穴太(あなお)にある、古い伝説が伝わる霊山(れいざん)です。
 明治31年(1898年)3月1日(旧2月9日)、喜三郎は神使(しんし)に伴われてこの霊山に登り、一週間の修業を行いました。

「高熊山の修行は一時間神界の修行を命(さ)せられると、現界は二時間の比例で修行をさせられた。しかし二時間の現界の修行より、一時間の神界の修行の方が数十倍も苦しかった。現界の修行といっては寒天に襦袢(じゅばん)一枚となって、前後一週間水一杯飲まず、一食もせず、岩の上に静座して無言でをったことである。」

「神示のまにまに高熊山の出修したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であった。汽車よりも飛行機よりも電光石化よりも、速やかに霊的研究は進歩したやうに思うた。たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であった。過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥を窺知しうるとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉し得られたのである。」(霊界物語第1巻第3章より)

 またこの一週間の霊的修行によって、喜三郎は天眼通(てんがんつう)・天耳通(てんにつう)・自他神通(じたしんつう)・天言通(てんごんつう)・宿命通(しゅくめいつう)の大要を会得しました。

 高熊山の修行で、喜三郎は自らの霊魂のいかなるものか、また自らの使命のいかに重大なるかを知らされ、深く自覚することになりました。
 それは現・幽・神三界を救う救世主としての自覚です。
 喜三郎が松岡仙人に連れられて霊界の審判廷に行き、幽庁の大王たる老神に会った時、老神は次のように喜三郎に言いました。

  「余は汝とともに霊界、現界において相提携して、もって宇宙の大神業(だいしんぎょう)に参加せむ。」

 三界を救うべき大神人(だいしんじん)すなわち「顕幽両界のメシヤたるものは、メシヤの実学を習っておかねばならぬ」と喜三郎に救世主となるための霊界修業を促されたのです。

 ここに喜三郎は、自分の霊魂が瑞の御霊(みづのみたま)であること、三千世界の救世主としての使命を悟りました。そして高熊山の修業以後の喜三郎青年は、この神界から与えられた大使命にひたすら邁進し生きることになったのです。
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