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霊界物語

 出口王仁三郎聖師の著作は「道の栞」そのほか多くの随筆、歌集など膨大な量に及びますが、その中でも霊界物語は大本神諭とともに根本教典になっています。全81巻83冊の長大な物語であり、世界的に見ても類のない宗教教典です。
 聖師はこの物語を三日に一冊の割合で何の参考書も見ずに口述されていきました。それを考えても、決して人間業とはいえません。

大本神諭の真解書

 霊界物語は、開祖が書いた大本神諭の真解書です。大本神諭は断片的ですが、霊界物語はこれを総合的に劇化して表現したものです。

 「この物語によらなければ、教祖(すなわち開祖)の筆先の断片的(台詞書)のみにては、たうてい神界の御経綸と御意志は判るものではないのであります。」(霊界物語第12巻序文)

霊界の真相を説く

 また霊界物語には宇宙創成の時の様相、天国・地獄の情況、中有界における審判の模様など、人間にとって枢要な意味をもつ霊界の真相が描写されています。その中で人の死という通過点がどういうことなのか、また霊界という現界に近接した世界が存在する中で、人間の現界における生がいかなる意味を持つか、要するに霊界も含めた大きな宇宙の中に生きる人間の生命と人生について、深く的確な教えが示されています。

霊界物語は天国の福音を伝えるものです

 霊界物語は霊界の真相を説くとともに、「天国の福音」を現界に伝えるものです。

「ここにおいて、神は時機を考え、弥勒を世に降(くだ)し、全天界の一切をその腹中に胎蔵せしめ、それを地上の万民に諭し、天国の福音を、完全(うまら)に詳細(つばら)に示させたまふ仁慈(みろく)の御代が到来したのである。」(霊界物語第48巻第12章「西王母」)

 天国の福音とは天国の言葉であり天国の心です。それを信じそれを口にするものは天国の言葉・天国の心を自分のものとすることができるのです。それは霊魂の救済の第一歩なのです。しかし真に救われるためには、口と心だけでなく行いも出来なければなりません。言心行一致の信仰でなければ真の救済はないのです。

霊界物語は最後の審判書である

 霊界物語は最後の審判書といわれます。それは霊界物語が人の霊的救済について詳細にまた明解に手取り足取り教えているということでもあります。

 「最後の審判は、閻魔大王が罪人をさばくと同様なる形式において行はるると考へてゐる人が多いやうだが、それは違ふ。天国に入りうるものと、地獄に陥落するものとの標準を示されることである。この標準を示されてのち、各自はその自由意志によって自ら進んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる、そは各自の意志想念の如何によるのである。標準とは何か、霊界物語によって示されつつある神示そのものである。」(水鏡「霊界物語は最後の審判書なり」)

 この神示が極めて明解であるゆえに、最後の審判となりうるのです。

霊界物語によって救世主は不滅…霊界物語は聖師の肉体であり霊魂である

 よく「聖師が救世主であることは認めるが、死んでしまったら意味がない、死んだ獅子よりも生きた鼠(ねずみ)の方が偉い」という人がいますが、とんでもない間違いです。霊界物語の出現によって救世主としての聖師は不滅となったのです。

 「瑞月(聖師)が霊界物語を編纂するのも、要するに法すなわち経蔵または教典を作るので、すなはち神を生みつつあるのである。また自己の神を現し、また宣伝使といふ神を生むためである。ゆえにこの物語によって生まれたる教典も、宣伝使も、神言も、みな神であって、要するに瑞月そのものの神を生かすためであると確信している。『霊界物語』そのものはつまり瑞月の肉身であり、霊魂であり、表現である。」(霊界物語第40巻緒言)

 要するに霊界物語の存在は、聖師の肉体と霊魂が存在することと同じことなのです。
 救世主たる聖師の肉体は亡くなっても霊界物語がある限り、救世のご活動は永遠不滅です。
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