Skip to content

第2巻 第1篇 神界の混乱

第2巻 第1篇 神界の混乱

第4章 真澄の神鏡 P24

 ここで登場する大足彦おほだるひこという人は国大立之命くにひろたちのみこと(素盞嗚尊のことです)の四魂しこんの一柱で、荒魂あらみたまであると記されています(第3巻第43章「配所の月」P254)。

 偽の美山彦みやまひこが登場しますが、このように邪神は正神の名を騙って多くの人を惑わせます。
 本物の美山彦はロッキー山(十二の国魂くにたまの一つを鎮めた山で、北米にあります)に現われた正しい神人です。国照姫くにてるひめはその妻神です。

 偽の美山彦は大足彦に、聖地エルサレム(竜宮城、地の高天原)が危機に陥っていると、ウソを言います(P25)。
 聖地エルサレムの雛形は綾部になります。
 霊界物語は綾部を一つの雛形として描いており、第1巻から5~6巻までは、綾部の大本で起きた出来事を移写したもの──歴史を書いたものとも言えます。

 この章の最後の方で、鬼姫おにひめ稚桜姫命わかざくらひめのみこと(大本開祖・出口直の神霊)に化けて出て来ますが(P26)、この鬼姫というのは出口直・開祖の長女で大槻米(おおつき よね)という人のことです。

【出口直の家族】
出口直の家族

 あれほど神様から神示を受けた方でも、自分の子供から神様の妨害をする人が出て来るのです。

 大足彦おほだるひこ木花姫命このはなひめのみことに神示を乞いますが(P25)、木花姫は主神すしんの別名です。
 分霊の木花咲耶姫は富士山の神霊です。

 大足彦は木花姫命からもらった鏡で偽の稚桜姫命わかざくらひめのみことを照らすと、その正体(鬼姫の後身バイカル湖の黒竜──第1巻第49章「バイカル湖の出現」P259参照)が暴かれます。
 この鏡というのは、神の教えのことであると言えます。
 神の教えに照らせば、正神か邪神かが分かります。
 その邪神は神の教えを奪い取ろうとするのです。

 万寿山まんじゅざんは中国にありますが、その雛形は亀岡になります。

第5章 黒死病の由来 P28

 筆録者の谷口正治(雅春)さんは、「生長の家」という宗教を興した人です。大正10年頃は大本にいて活躍していました。荒縄をベルト替わりにして腰に巻き、キリスト教の聖人フランシスになぞらえて、「大本のフランシス」と称していました。

 長白山(ちょうはくざん)は朝鮮半島の根っこにある、東アジア全体の霊山です。
 長白山というのは中国での呼び名で、朝鮮では白頭山(はくとうざん)と呼びます。
 今は中国と北朝鮮の国境で山が二分されていますが、もともとは高句麗(こうくり。古代朝鮮の国の一つ)の領土でした。
 ですから朝鮮民族の霊山です。日本でいうと富士山のような感覚です。
 私も以前に中国側から登ったことがありますが、朝鮮族の人たちが祭祀をしているのをよく見かけました。

 美山彦みやまひこ言霊別ことたまわけと改名したと書かれていますが(P28)、彼は素盞嗚大神の幸魂(さちみたま)です。
 四魂しこんは次のようになります。
 (第3巻第43章「配所の月」P254、第5巻第18章「宣伝使」P105、第6巻第23章「諸教同根」P134~)

【国大立之命(素盞嗚大神)の四魂】
  • 大八洲彦命おほやしまひこのみこと(別名・月照彦神つきてるひこのかみ) / 和魂にぎみたま / 印度でお釈迦様として生まれた
  • 言霊別命ことたまわけのみこと(別名・少彦名神すくなひこなのかみ) / 幸魂さちみたま / ユダヤの地にイエス・キリストとして生まれた
  • 大足彦命おほだるひこのみこと(別名・足真彦だるまひこ) / 荒魂あらみたま / 印度で達磨として生まれた
  • 神国別命かみくにわけのみこと(別名・弘子彦神ひろやすひこのかみ) / 奇魂くしみたま / 中国に孔子(こうし)として生まれた

 この四魂しこんの神が説いたそれぞれの教えは、その本源に帰ると素盞嗚大神すさのをのおほかみの教えということになります。
 これを「万教同根ばんきょうどうこん」と言います。
 キリスト教や仏教や儒教など、それぞれの宗教はみな異なる教えのように思ってしまいますが、そうではなく、本源は一つで、民族や時代に応じて、神は教えを説かれたに過ぎません。
 元をたどればみな一緒なんですが、世界はそのことが分からず大きな混乱が起きています。神の真意が理解されていないようです。

 神国別命かみくにわけのみことは、長白山の山腹に古くから鎮まっていたと書かれています(P28)。
 その後身である孔子は、中国に生まれて儒教の始祖となりますが、神代には長白山にいたということになります。
 中国は儒教が興った国ですが、今はあまり盛んではありません。
 儒教が今でも一番よく守られているのは朝鮮です。
 朝鮮の檀君だんくん神話を調べると、とても面白いことが分かって来ます。
 檀君という人は6千年前に平壌ピョンヤンで都を開いたと伝えられています。
 檀君が平壌に都を開き、その後は中国の人(箕子きし)に政権を委ねて、自分は長白山に帰ったというのが檀君神話です。
 神国別という孔子の前身の神霊が長白山に鎮まっていたということを知ると、檀君神話や古代の朝鮮の歴史がなんとなく理解できるように思います。

 檀君のお墓である壇君廟だんくんびょうが平壌にありますが、岡山県にある熊山戒壇くまやまかいだんと形がそっくりだそうです。
 熊山戒壇(熊山遺跡)は岡山県赤磐市にあります。これはスサノオの御陵といわれています。

 本来は5層になっており、その上に神霊を祭ります。
 実はイランのスーサにも、これに似た神殿があり、私も見に行ったことがあります。
 大きさは違いますが、熊山遺跡と壇訓廟とスーサの神殿は形がそっくりです。
 檀君は日本でいうと素盞嗚尊のことです。イランのスーサはスサノオのスサです。
 この三つはスサノオでつながるということになります。
 「スサノオ」という神が今後、東アジアの重要なキーワードになって来るのではないのかと思います。

 佐倉姫さくらひめが木星に救援を乞うと、榊葉さかきばが落ちて来て、その榊葉で左右左さゆうさと祓います(P30)。
 お祓いには三種あります。
 個人の祓い、国家の祓い、地球の祓いです。
 日本国土そのものが祭壇であり、神を祀る場所です。
 その祭壇が清められていないと神様が降りて来られません。
 国土をまずきれいにすることが大切です。それが個々人の祓いにもつながって来ます。
 お祓いをするときは順序が決まっており、必ず左が先です。
 これを進左退右しんさたいうといいます。

第6章 モーゼとエリヤ P31

 国祖こくそ国常立尊くにとこたちのみことが修理固成していく途中で、神界は大いに混乱して行きます。
 それは規律がなかったからです。そこで永遠に変らぬ規則、律法を定める必要が出て来ました。

 天道別命あまぢわけのみこと(後にモーゼとなる)は神則を定め、天真道彦命あめのまみちひこのみこと(後にエリヤとなる)は因果の神律しんりつを開示したと書かれてあります(P33)。
 律法には二種類あります。
 外面の律法と内面の律法です。
 外面の律法は、国祖・国常立命とモーゼ(天道別命)が、内面の律法は、国祖の妻神・豊国姫命とよくにひめのみこと(素盞嗚尊のこと)とエリヤ(天真道彦命)が定めました。

 旧約聖書にモーセがシナイ山で神から十戒を授かったと書かれていますが、この十戒は次のようなものです。

 1. わたしの他に神があってはならない。
 2. 偶像を作って、拝んではならない
 3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
 4. 主の日(安息日)を心にとどめて、これを聖なる日とせよ。
 5. あなたの父と母を敬え。
 6. 殺してはならない。
 7. 姦淫してはならない。
 8. 盗んではならない。
 9. 隣人に対して偽証してはならない。
10. 隣人の家(財産)を欲してはならない。

 だいたい前半5つと後半5つとに分けることが出来ます。前半は神と人との関係で、後半は人間界での掟です。(厳密にいうと、キリスト教では前半4つが神と人との関係、後半6つが人間同志の関係、というように分けているようです。)
 後半は仏教の五戒にも通ずるものがあります。

 1. 不殺生戒(ふせっしょうかい)…殺すなかれ
 2. 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)…盗むなかれ
 3. 不邪淫戒(ふじゃいんかい)…姦淫するなかれ
 4. 不妄語戒(ふもうごかい)…ウソをつくなかれ
 5. 不飲酒戒(ふおんじゅかい)…酒を飲むなかれ

第2巻の第45章「天地の律法」(P229)に、内面の戒律と外面の戒律とが出て来ます。

 【内面の戒律】
 1. 省みよ
 2. 恥よ
 3. 悔い改めよ
 4. 天地を畏れよ
 5. 正しく覚れよ

 【外面の戒律】
 1. 夫婦の道を厳守し、一夫一婦たるべきこと
 2. 神を敬い長上を尊び、博く万物を愛すること
 3. 互いに妬み、誹り、偽り、盗み、殺しなどの悪行を厳禁すること

 内面の戒律は、精神的、霊的な戒律といえます。
 これは実は一霊四魂いちれいしこんの中に組み込まれています。ですから、他人にあれをしてはいけない、これをしてはいけないと、とやかく言われる必要はありません。
 魂が知っているのです。魂を磨いてきれいにして行けば、自ずからそれが出来るようになる、ということです。

 外面の戒律より、内面の戒律を中心にした方がいいのです。
 たとえば子供にお客さんが来たから挨拶してと、子供の頭を押さえつけて無理に挨拶をさせるようなことではダメです。素直に心から挨拶が出来るように仕向けて行くのが、本当の教育だというようなことも王仁三郎聖師は言っています。

 一霊四魂に組み込まれている戒律を、「五情の戒律」(神明の戒律)と呼びます。(第10巻第29章「言霊解三」P221)

【五情の戒律】
五情の戒律

 省みる心がないというのは一番中心である直霊なおひ御魂みたまが働いていないということです。
 「畏(おそ)る」は恐れる、恐怖するということではなく、大いなる存在を畏敬する、ということです。
 愛(いつく)しむ心がなくなると、畏(おそ)れなくなります。
 すると平気で動物を殺したり、花壇の花を折ったりするようになります。

第7章 天地の合せ鏡 P34

 金竜、銀竜という馬が出て来ます(P34)。
 馬は「陸の竜」ともいいます。
 「河の竜」が鯉(こい)、「海の竜」は鯨(くじら)で、これらは竜の変化したものであると王仁三郎聖師は言っています(出口王仁三郎全集第5巻P561「鯉」)。
 これと全く同じ事を、沖縄のある霊能者が言っていたので、とても驚きました。

 「高砂の神島」(P34)というのは台湾のことです。
 第27、28巻は台湾と琉球の物語になっており、琉球と台湾の因縁が記されています。

 稚桜姫命わかざくらひめのみこと(国祖の分霊)が高砂島たかさごじま新高山にいたかやまに到着すると、真道彦命まみちひこのみことらが五つの玉を献上します(P35)。
  • 真道彦命まみちひこのみこと / 岩石を打ち割り / 紫紺色を帯びた透明の宝玉 / 神政成就の暁にある国の国魂となる宝玉
  • 奇八玉命くしやたまのみこと / 海底から / 日生石にっしょうせきの玉 / 安産を守る宝玉
  • 真鉄彦まがねひこ / 谷間から / 水晶の宝玉 / 女性の不浄を清める神玉
  • 武清彦たけきよひこ / 山腹の埴(土)から / 黄色の玉 / 病魔を退ける宝玉
  • 速吸別はやすいわけ / 巨岩が分裂して炎となり / 紅の玉 / 火と水で天地の混乱を清める神宝
 玉の色は、順に紫、日生石はよく分かりませんが多分青、水晶は白になり、黄色、紅と五色になります。それぞれの色に天火結水地とアオウエイを当てはめると、
  • 青 / 天 / ア
  • 紅 / 火 / イ
  • 紫 / 結 / ウ
  • 白 / 水 / エ
  • 黄 / 地 / オ
 というようになります。

 稚桜姫命が地の高天原(日本)に帰ろうとしたとき、鬼熊おにくまの亡霊が化した鬼猛彦おにたけひこが現われてそれを妨害しようとしました(P36)。
 鬼熊のモデルは、大槻米(おおつき よね。出口直・開祖の長女)の夫である大槻鹿蔵というヤクザ者です。
 綾部で牛肉屋をやっていたハイカラ者でした。
 神懸りした開祖はこの人の家の座敷牢に閉じこめられてしまいました。

 竜宮島の湖に5個の神玉を秘めおかれました(P37)。
 竜宮島は冠島(かんむりじま、おしま)のことです。
 冠島は雛形で、それを拡大したものが四国、さらに拡大したものがオーストラリアになります。

 あめの真澄の鏡というのは天の親神の言葉、地の真澄の鏡というのは地(国)の親神の言葉ということで、大本的にいうと、これは開祖の筆先と、出口王仁三郎聖師の霊界物語ということになります。

 日本列島は竜体──国祖国常立尊くにとこたちのみことが竜の体になったときに出来た島です。
 九州が頭で台湾が冠になります。
 台湾は行政上は別の国ですが、国魂くにたま上でいうと日本列島の一部になります。
 (日本は双頭の竜といわれ、艮から見ると北海道が頭になり、坤から見ると九州が頭になります。)
 自然を無機物だと思うから、平気でゴミを捨てたり、破壊したりするのです。
 しかし実は神様の体なんです。
 まずは神様の体をきれいにさせていただくことが一番重要なことなのではないのかと思います。
 王仁三郎聖師は、大地を一番汚すのは、人の血だと言っています。

第8章 嫉視反目 P38

 大八洲彦命おほやしまひこのみこと言霊別命ことたまわけのみこと大足彦命おほだるひこのみこと神国別命かみくにわけのみことの4人の天使は国大立之命くにひろたちのみこと(素盞嗚大神)の四魂しこんです(第3巻第43章「配所の月」)。ですからこの四柱は王仁三郎のことでもあり、当時の綾部における王仁三郎を取り巻く状況がここに描かれているとも言えます。

 大本に集まって来る人たちは、雛形として神劇をやらされていました。
 波間に漂う小船のような体験をさせられました。
 しかし、離れようとはしません。それは霊的なつながりがあったからであり、因縁の身魂みたまの寄り集まりだったからです。

 王仁三郎聖師も殺される寸前まで行きました。大本の信者に殺されかけたのです。
 当時、出口直開祖は天照あまてらす、王仁三郎聖師は素盞嗚すさのをという構図で神業しんぎょうが進んでいました。
 日本神話だと素盞嗚は悪神という位置付けになっています。
 悪神のやることは阻止しないといけない、ということで、王仁三郎の動きはすべて封じられ、それは私生活にまで及びました。
 本当の素盞嗚の役割を当時の信者は分からなかったのです。
 自分たちはいいことをやっている、神様のために働いていると思っていました。
 それがある時点から手の平を返したようにころっと変わりました。
 大正5年、開祖が書いた筆先で、自分が待ちに待っていた神霊は王仁三郎のことだったということが判明したのです。
 開祖が自分の意志で書いたのではなく、神霊による自動書記です。それによって、開祖は自分が間違いだったことに気が付きました。(これを「見真実(けんしんじつ)」に入った、といいます)

 天が地となり地が天となるという表現が筆先に出て来ます。
 将来も、今の価値観のまま進んで行くと思い込んでいると、それがクルッと変わるときが来ます。
 今は公害を出そうと人を傷つけようと構わずに社会が進んでいますが、あるとき突然、そういう価値観の変更を余儀なくされるときが来ることでしょう。
© 1998-2024 大本信徒連合会