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出雲火の御用について

 元伊勢のうぶのお水で、世界の泥を澄ますのであるから、水は元伊勢、火は出雲、水と火とで世界にはきびしきことがあるよって、世界の人民の身魂の洗濯いたさんと、きびしきことがはじまるぞよ。
『大本神諭』 明治三十七年旧二月十日
 元伊勢水の御用から約2ヶ月後の明治34年7月1日(旧5月16日)、出口なお開祖、王仁三郎聖師、出口すみ子二代教主ら一行15名は綾部を出発し、遙か出雲へと旅立った。当時、開祖は65歳の高齢であったが常に一行の先頭を歩いた。7月11日、出雲大社に到着し、翌日大社参拝を果たした。

 この出修の主たる目的は、出雲大社に天穂日命(あめのほひのみこと)の神代から伝わる「消えずの神火」を貰い受けることであった。しかし、出雲大社がこの神火を他に譲与した前例はなく、交渉は難航したという。

 翌13日の早朝、一行は出雲大社に参拝し、上つ世よりの火継ぎの神火と御饌井(みけい)の真清水、瑞垣内の清砂を貰い受け、帰路についた。御神火は三本の火縄に点じて持ち帰ることにしたが、王仁三郎が捧持していた一本だけが、穢されることもなく消えることもなく残った。

 綾部に帰ると神火を点じて祭典を行い、その後は火番を置いて100日間灯され、神示に従って15本のろうそくに移して天に返された。お土は、開祖の命によって綾部の大本を中心に広範囲に撒布され、「宮屋敷とり」がなされた。お水は、神苑の井戸「金明水」に差し入れられた後、残りを金明水の水と合わせて、艮の金神(国常立尊)御隠退の地である根本霊場・沓島と冠島の間の龍宮海に注ぎ入れられた。

 元伊勢の「水晶のお水」と、出雲の「消えずの火」。昔より汚されたことのない火と水とにより、乱れ果てた世を立替え立直す大潔斎の「型」を出されたのが、「元伊勢水の御用」と「出雲火の御用」であった。
「大本教祖火の御用記念碑」の右手前に建つ『大本神諭』の石碑
「大本教祖火の御用記念碑」の右手前に建つ『大本神諭』の石碑(四代教主・出口直美筆 昭和46年7月12日建立)。共に出雲火の御用70年と、出口王仁三郎聖師ご聖誕100年を記念して出雲大社境内に建立された。
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