Skip to content

二度目の岩戸開きの意義

 大本神諭には、
「こんどは木の花咲耶姫どのが、世に出ておいでる神さんと、世に落ちておりた神との和合をさせる御役を、神界から仰せつけがありたのざぞ」(明治36年旧1月30日)
とあります。

 聖師さまは、大正9年7月21日号の『神霊界』に「弥仙山」と題した全文ひらがなの教示を発表されています。

 そこには、
「ここに木花咲耶姫なる雅(みやび)のおん神は仲介(なかだち)と現はれ給ひて、勇ましく岩戸の御前(みまえ)に立ち給ひ、岩戸は無事に開かれて、現はれ出でしは稚姫君神(わかひめぎみのかみ)、助けの道も明らかに開けゆきて、天の下四方の国には平和の旗、風に翻りて上も下もおしなべて草の葉末に至る迄、勇まぬものはなし」
とあり、木の花咲耶姫が世においでる神と世に落ちておられた神との和合の御役を神界から仰せつかり、めでたく和合ができ、天の岩戸が開かれ、岩戸からお現はれになられたのは稚姫君命であったと示されています。

 また、『道の栞』には、大本の教(おしえ)の眼目は、この霊(厳の霊と瑞の霊)の訳柄(わけがら)をさとらざれば会得することかたし、と教示されています。

 明治34年の弥仙山籠りと、36年の岩戸開きの神事は、型の岩戸開きであり、大本神業そのものが、二度目の岩戸開きであるといえましょう。
© 1998-2024 大本信徒連合会