第12巻 第4篇 古事記略解
第12巻第28章 三柱の貴子 P243
ここは古事記の中でもポイントになる所です。
伊邪那岐と 伊邪那美が三柱の御子(天照、月読、須佐之男)を生み、須佐之男は大海原──地球上すべてを治めることになりました。
王仁三郎は、古事記というのは日本だけのことを書いているのではなく、世界のことを書いていると、考えていました。
たとえばスサノオの名は地域によって名が変わるということが霊界物語に示されてあります(第25巻第13章「握手の涙」P198)。
インドではクリシュナとして、ペルシャではミトラスと呼ばれていました。
名前が変わっているので別の神様のように思えてしまいますが、実はみなスサノオのことなのです。
須佐之男は地上界が治まらないので、母の国に行きたいと父の伊邪那岐に言いました。
母の国は「根の 堅洲国」と書いてありますが(P256)、これは「 黄泉の国」とも言います。
黄泉の国は地下の国という説と、月だという説とがありますが、ここでは月が黄泉の国だというように書いてあります。
月読命の「つきよみ」という名はここから来ています。
須佐之男は天上界から追放されて、刑罰を与えられ、罪人になりました。
これを「 千座の 置戸を負う」といいます。
これは、高い位を放擲して(座を降りて)、みんなの罪穢(つみけがれ)を一身に背負う、という意味があります。
神社の太祓(おおはらい)で用いる「人形」(ひとがた)というものがあります。
人の形をした半紙に名前を書いて、「撫で物」(なでもの)といって、これを撫でて、最後にふっと息を吹きかけます。
これを神社に納めて、お祓いをしてもらいます。または水に流して罪穢を流します。
この人形の本体は実は須佐之男です。
日本の神社では圧倒的に須佐之男が祭神のところが多いのです。
田んぼに立ている 案山子は、鳥から作物を守るという働きだけでなく、いろいろな災いを案山子にくっつけてしまい、それを流すことで作物の祓いになる、つまり人形と同じ働きをします。案山子は別名・ 曽富戸の神と言います。また 奇魂千憑彦命とも言います。
第54巻附録(P291)に「神文」(しんもん)というものがあります。これは 鎮魂帰神術を行なうときに唱えていたものです。そこに 奇魂千憑彦命が出て来ます。 久延毘古の神ともいいます。
「この世界には恒天暦、太陽暦、太陰暦の三つの暦が常に運行循環して居るのであります。」(P247)
太陰暦は月を中心にした暦、太陽暦は太陽を中心にした暦です。
恒天暦というのは星を中心した暦(金星を中心にした暦)のようです。
この三つの暦を人間は神様から授かっているということです。
「 今日は天照大御神の三代の 日子番能邇々芸命が、どうも此お国が治まらぬといふので天から大神の神勅を奉じて御降臨になつて、地球上をお治め遊ばして、さうして我皇室の御先祖となり、其後万世一系に此国をお治めになつてあるのでありますが、それより以前に於きましては、古事記によりますと須佐之男神が此国を 知召されたといふことは前の大神の神勅を見ても明白な事実であります。」(P248)
天孫・邇々芸命の以前は、須佐之男がこの世を治めていた、と明確に書かれています。
須佐之男が地上界の主宰神だったということです。
その事実が、後世、変えられてしまっています。
先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)には、須佐之男が中心になった神話が書いてあります。
そこでは、須佐之男の子孫・後継は、饒速日(にぎはやひ)というように書かれています。
饒速日は石上(いそのかみ)、生駒を中心に活動していました。
物部(もののべ)氏の祖神です。
島根県大田市に物部神社があり、饒速日の子の宇摩志麻遅命(うましまじ)が祭神になっています。
饒速日は「十種の神宝」(とくさのかんだから)を持って天上界からおりられました。
1. 沖津鏡(おきつかがみ)
2. 辺津鏡(へつかがみ)
3. 八握剣(やつかのつるぎ)
4. 生玉(いくたま)
5. 死返玉(まかるかへしのたま)
6. 足玉(たるたま)
7. 道返玉(ちかへしのたま)
8. 蛇比礼(おろちのひれ)
9. 蜂比礼(はちのひれ)
10. 品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
これらの名前を唱えながら神宝を振ると亡くなった人まで呼び起こす力があると伝えられています。
霊界物語で「天の数歌」(あまのかずうた)と呼ばれているものは、この饒速日の十種の神宝のことです。
十種の神宝の名をいちいち言わずに、「ひとふたみよ~」と唱えると、同じ力があるそうです。
王仁三郎は、古事記というのは日本だけのことを書いているのではなく、世界のことを書いていると、考えていました。
たとえばスサノオの名は地域によって名が変わるということが霊界物語に示されてあります(第25巻第13章「握手の涙」P198)。
インドではクリシュナとして、ペルシャではミトラスと呼ばれていました。
名前が変わっているので別の神様のように思えてしまいますが、実はみなスサノオのことなのです。
須佐之男は地上界が治まらないので、母の国に行きたいと父の伊邪那岐に言いました。
母の国は「根の
黄泉の国は地下の国という説と、月だという説とがありますが、ここでは月が黄泉の国だというように書いてあります。
月読命の「つきよみ」という名はここから来ています。
須佐之男は天上界から追放されて、刑罰を与えられ、罪人になりました。
これを「
これは、高い位を放擲して(座を降りて)、みんなの罪穢(つみけがれ)を一身に背負う、という意味があります。
神社の太祓(おおはらい)で用いる「人形」(ひとがた)というものがあります。
人の形をした半紙に名前を書いて、「撫で物」(なでもの)といって、これを撫でて、最後にふっと息を吹きかけます。
これを神社に納めて、お祓いをしてもらいます。または水に流して罪穢を流します。
この人形の本体は実は須佐之男です。
日本の神社では圧倒的に須佐之男が祭神のところが多いのです。
田んぼに立ている
第54巻附録(P291)に「神文」(しんもん)というものがあります。これは
「この世界には恒天暦、太陽暦、太陰暦の三つの暦が常に運行循環して居るのであります。」(P247)
太陰暦は月を中心にした暦、太陽暦は太陽を中心にした暦です。
恒天暦というのは星を中心した暦(金星を中心にした暦)のようです。
この三つの暦を人間は神様から授かっているということです。
「
天孫・邇々芸命の以前は、須佐之男がこの世を治めていた、と明確に書かれています。
須佐之男が地上界の主宰神だったということです。
その事実が、後世、変えられてしまっています。
先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)には、須佐之男が中心になった神話が書いてあります。
そこでは、須佐之男の子孫・後継は、饒速日(にぎはやひ)というように書かれています。
饒速日は石上(いそのかみ)、生駒を中心に活動していました。
物部(もののべ)氏の祖神です。
島根県大田市に物部神社があり、饒速日の子の宇摩志麻遅命(うましまじ)が祭神になっています。
饒速日は「十種の神宝」(とくさのかんだから)を持って天上界からおりられました。
1. 沖津鏡(おきつかがみ)
2. 辺津鏡(へつかがみ)
3. 八握剣(やつかのつるぎ)
4. 生玉(いくたま)
5. 死返玉(まかるかへしのたま)
6. 足玉(たるたま)
7. 道返玉(ちかへしのたま)
8. 蛇比礼(おろちのひれ)
9. 蜂比礼(はちのひれ)
10. 品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
これらの名前を唱えながら神宝を振ると亡くなった人まで呼び起こす力があると伝えられています。
霊界物語で「天の数歌」(あまのかずうた)と呼ばれているものは、この饒速日の十種の神宝のことです。
十種の神宝の名をいちいち言わずに、「ひとふたみよ~」と唱えると、同じ力があるそうです。
第12巻第29章 子生の誓 P259
この章では 天照と 須佐之男の誓約(うけい)が出て来ます。
天照は須佐之男が自分の国を奪いに来るのではないのかと疑います。
厳の御魂(いづのみたま)の天照は、疑い深い性格をしています。
天照大御神の正式名は
「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」 (つきさかき いつのみたま あまさかる むかひつひめのみこと)と言います。
また、
「大日孁神」(おおひるめのかみ)
とも言います。
「 天の 御衣織女、見驚きて 梭に 陰上を 衝きて 死せき」(P271)
古事記で「天の御衣織女」(あめのみそおりめ)というのは、日本書紀では「稚日女」(わかひるめ)と呼ばれています。
稚日女は大日孁の若いときの名前だという説と、大日孁の妹だという説とがあります。
神戸の 生田神社は、この稚日女を祭神として祭っています。
霊界物語では「生田の森」という聖場が、しばしば登場します。(第22巻第17章P217が「生田の森」という題名です)
「言葉をもって世界を治めよ」(p268)
というのがアマテラスの考え方です。
しかしスサノオはその逆で、武備を盛んにして、軍艦を沢山に拵え、大砲を沢山造るという、武装的平和の心です。
日本人の心の中には武備がある、大和魂がある、しかし表面には武装がない、と書いてあります。
これはアマテラスとスサノオ両方の考え方が必要だということです。
どちらかに傾いてはいけない。
武備があるというのは、疑うということではなく、しっかりした考えを持つことがが必要だということだと思います。
日本の武道は相手を攻めない。自分を鍛えるが、力で相手を制するわけではない。
アマテラスとスサノオの両方の考えを一緒にしないといけません。
どちらが欠けてもだめです。
これは今の日本にも必要な考えだと思います。
太古の神代からこういう方法で行けと示されてあったんですが、政治家もわれわれ国民もそういう学びがありませんでした。
どちらかに傾いて行った、その結果おかしくなってしまった。
両方の考えを一緒にする必要があります。
「いざといふ場合には 稜威の 雄健び、 踏健びをしなくてはならぬがその間には常に極く平和に落着いて居る。」(P269)
というのが本来の日本の考え方だと示されています。
天照は須佐之男が自分の国を奪いに来るのではないのかと疑います。
厳の御魂(いづのみたま)の天照は、疑い深い性格をしています。
天照大御神の正式名は
「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命」 (つきさかき いつのみたま あまさかる むかひつひめのみこと)と言います。
また、
「大日孁神」(おおひるめのかみ)
とも言います。
「
古事記で「天の御衣織女」(あめのみそおりめ)というのは、日本書紀では「稚日女」(わかひるめ)と呼ばれています。
稚日女は大日孁の若いときの名前だという説と、大日孁の妹だという説とがあります。
神戸の
霊界物語では「生田の森」という聖場が、しばしば登場します。(第22巻第17章P217が「生田の森」という題名です)
「言葉をもって世界を治めよ」(p268)
というのがアマテラスの考え方です。
しかしスサノオはその逆で、武備を盛んにして、軍艦を沢山に拵え、大砲を沢山造るという、武装的平和の心です。
日本人の心の中には武備がある、大和魂がある、しかし表面には武装がない、と書いてあります。
これはアマテラスとスサノオ両方の考え方が必要だということです。
どちらかに傾いてはいけない。
武備があるというのは、疑うということではなく、しっかりした考えを持つことがが必要だということだと思います。
日本の武道は相手を攻めない。自分を鍛えるが、力で相手を制するわけではない。
アマテラスとスサノオの両方の考えを一緒にしないといけません。
どちらが欠けてもだめです。
これは今の日本にも必要な考えだと思います。
太古の神代からこういう方法で行けと示されてあったんですが、政治家もわれわれ国民もそういう学びがありませんでした。
どちらかに傾いて行った、その結果おかしくなってしまった。
両方の考えを一緒にする必要があります。
「いざといふ場合には
というのが本来の日本の考え方だと示されています。