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あらゆる障壁を超越して

 大正10年の第一次大本事件以降、出口王仁三郎は積極的に、世界の諸宗教と交流・提携し、また海外に拠点を設けて宣教活動に取り組みました。

バハイ教

 大正11年(1922年)9月、アメリカからバハイ教の女性布教者が訪れました。
 バハイ教は19世紀にペルシャ(イラン)で誕生した宗教です。バブとバハーウッラー(バハオラ)という二人の教祖的な人物がおり、日本で出口なおが生まれてから8年後の1844年に創始されました。

 世界の主要な宗教の教祖は同じ一つの神から遣わされた聖なる教育者である。つまり世界の偉大な宗教はその源を同じくする。地球は一つの国であり人類はその市民である。バハイとは全世界を愛し、人類を愛し、万国平和と同胞愛のために活動することである──。
 このようなバハイ教の主張は、大本の主張と同じものでした。
 出口王仁三郎はバハイ教の布教者をこころよく迎え、講演をしてもらい、交流を深めていきました。

道院

 大正12年(1923年)の秋、関東大震災の救済活動のため、中国から道院(どういん)・紅卍字会(こうまんじかい)の人たちが日本にやってきました。
 道院は大正10年ごろに中国の山東省で成立した宗教で、至聖先天老祖を主神として崇め、五教同源の教えにより世界の五大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教、儒教、道教)の教祖を祀っています。
 道院は「内修」つまり信仰・修養の機関で、紅卍字会は「外慈」で社会福祉の慈善活動機関です。
 フーチ(複数人で行なう一種の自動書記)による神示で、日本に道院と合同すべき宗教団体があると教えられ、綾部を訪れました。ここに大本と道院は相提携することになったのです。
 王仁三郎もフーチにより「尋仁」(じんじん)という道院名をもらっています。

宗教連合会

 バハイ教、道院以外にも、朝鮮の新興宗教である普天教、ドイツの心霊主義運動の白旗団、イスラム教などとも次々と提携・交流を行なっていきました。

 大正14年には北京で諸宗教と協力して世界宗教連合会を設立。また、宗教者だけでなく、一般思想家の参加してもらうために万国信教愛善会を神戸で設立しました。

エスペラント

 エスペラントは1887年(大本開教の5年前)にポーランドに住むユダヤ人の医者・ザメンホフが発表した人工言語です。
 ザメンホフは民族間の偏見や憎悪の主な原因は、言葉が通じないことから起きる相互の不理解にあると考え、特定の民族が使う言語を共通語にするのではなく、中立的な言語をつくることにしました。
 それが国際補助語のエスペラント語です。
 エスペラントは単なる言語ではなく、異なる文化を持つ人々と交流し理解し合い平和な世界をつくっていこうという、一種の精神運動でもあります。

 日本にも、明治後半から知られるようになり、王仁三郎も関心をもっていましたが、エスペラントを取り入れているバハイ教との交流を機に、王仁三郎は大本にも取り入れることにしました。
 その後、エスペラント普及会を結成して、日本や世界のエスペラント大会にすすんで参加し、またエスペラント語による宣教用文書も多数つくりました。

人類愛善会

 大正14年(1925年)6月9日、王仁三郎は人類愛善会を設立しました。
 人類愛善会は大本の精神を世界的に実践していく外郭団体ですが、しかし信者だけではなく、広く世界の団体や個人に参加してもらうようにしました。
 設立趣意書には人類救済と、世界平和実現の願いが集約されています。

 「…そもそも人類は本来兄弟同胞であり、一心同体である。この本義に立ち帰らんとすることは、万人霊性深奥の要求であり、また人類最高の理想である。しかるに近年世態急転して世道日に暗く、人心日に荒びてその帰趨(きすう)真に憂うべく、恐るべきものがある。…われらはこの際躍進して、或は人種、或は国家、或は宗教等あらゆる障壁を超越して人類愛善の大義にめざめ、この厄難より脱し、さらに進んで地上永遠の光明世界を建設しなけれならぬ。これ実に本会がここに設立せられたる所以(ゆえん)である。」

 王仁三郎が精力的に、日本や世界の宗教や思想を取り入れ、また提携・協力していったのは、今までの宗教が偏狭で排他的だったことに対する批判や反省の意味もありました。
 各宗教・各民族が、自分の教義教理・文化言語等にとらわれずに、他の宗教や民族を理解し合い、相互の融和と結合がなければ、地上に永遠の平和はおとずれないと王仁三郎は考えたのです。
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